フィギュアスケーターの宮原知子さんは、2018年平昌オリンピックで4位入賞の実績を持ち、現在も日本代表の第一線で活躍している選手です。
2021年10月22日から開催されるグランプリシリーズにも出場予定で、ファイナル進出を目指しています。
今回はそんな宮原知子さんの学歴や家族情報、経歴などについてご紹介していきましょう。
宮原知子さんの学歴・出身校
宮原知子さんはどんな学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族情報、子供の頃のエピソードについてみていきます。
プロフィール
氏名 | 宮原知子(みやはらさとこ) |
生年月日 | 1998年3月26日 |
出身地 | 京都府 |
身長 | 152cm |
体重 | 43kg |
血液型 | B型 |
所属 | 木下グループ |
学歴・出身校
ここでは宮原知子さんの学歴についてご紹介します。
いったいどの学校を卒業しているのか、気になりますね。
出身大学
大学は関西大学文学部です。
関西大学は、大阪府吹田市山手町に本部を置く私立大学です。
宮原知子さんはスケート部に所属しており、OBには高橋大輔さん、織田信成さん、町田樹さんがおられました。
2016年に入学していますが、平昌オリンピックを見据えてスケートに専念するために2017年から1年間休学をしていました。
それを経て、2021年に無事卒業されています。
出身高等学校
卒業した高校は、関西大学高等部でした。
関西大学高等部は、大阪府高槻市にある私立の高校です。
この時すでに国内のみならず世界で活躍していましたが、学業を疎かにすることはなく、模試で上位の成績を取るほどの学力も持ち合わせています。
高校生で2018年の平昌オリンピックを見据えた行動をしており、卒業論文で「五輪の魔物」をテーマに執筆していました。
先輩である高橋大輔さんや織田信成さんなど五輪経験者から話を聞き、五輪の魔物は「自分が作り出してしまうもの」と結論づけています。
出身中学校
中学校は関西大学中等部を卒業しました。
関西大学中等部も高等部と同じ所在地です。
宮原知子さんは中学から大学まで内部進学されているのですね。
ジュニアクラスでは敵なしで、トップレベルの選手がエントリーしている全日本選手権に出場し、2012年には浅田真央さん、村上佳菜子さんに次いで3位入賞を果たしています。
出身小学校
卒業した小学校は、立命館小学校でした。
立命館小学校は、京都府京都市北区にある私立の小学校です。
スケートはすでに始めており、京都の自宅から学校、その後大阪にある関西大学のアイスアリーナへ練習に行く多忙な日々を過ごしていました。
学校では宿題の他に、毎日日記を提出するのを課せられており、どちらも欠かすことはなかったと当時の担任は話しています。
この頃から努力家なところが確立されていたのですね。
実家の職業やご家族・子供時代
1日目終了〜〜👏 pic.twitter.com/hHPmbEJSUr
— Rin Nitaya🐬 (@rinrinrin0808) April 29, 2016
宮原知子さんのご両親は調べたところ、どちらもお医者さんでした。
父親の亮さんは、京都市立病院の呼吸器外科で部長をされています。
母親の裕子(やすこ)さんも同病院の血液内科で部長をされています。
スケートだけでなく学業も優秀なのが頷けますね。
両親の仕事の関係で、7歳まではアメリカ・ヒューストンで生活をしていた帰国子女でもあります。
かなり裕福な家庭で育ってはいますが、共に医者なので留守にすることも多く、祖母の淳子さんに育てられたと言っても過言ではありませんでした。
学校から帰ってスケートの練習は遠方が多かったので、いつも送ってもらったりお弁当を作ってもらっていました。
宮原知子さんの経歴
幼少期から努力できる才能を発揮し続け、中学生から世界で活躍する選手へと駆け上がっていきました。
そんな宮原知子さんですが、どのような経緯でフィギュアスケートと出会い、どんな実績があるのでしょうか。
フィギュアスケートとの出会い
フィギュアスケートとの出会いは4歳の時で、まだアメリカで生活をしていた頃です。
ショッピングモール内にスケート場があり、両親がやってみる?と勧めたのがきっかけです。
そこで初めて滑ったのが楽しくてハマり、次第に習いに行くようになりました。
日本に戻ってからも続ける他なく、現在の恩師・濱田美栄さんのところで習うようになります。
経歴・エピソード
4歳でスケートに出会い、5歳からアメリカで生活しながら習い事として通い始め、7歳で帰国してからも濱田美栄さんの元で練習をしていきます。
小学4年生から大会にも出場するようになり、2009年、2010年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権で4位と好成績を収めるようになっていきました。
中学生からは国際大会へも出場していき、 2011/2012 ISUジュニアグランプリシリーズ バルティック杯では2位になることができました。
そして、その年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会で初優勝を果たし、この結果からシニアの全日本選手権にも出場して6位と大健闘します。
ジュニアクラスでの一際目立った成績を引っ提げて、2013〜2014シーズンからはシニアクラスへ移行し、2014年四大陸フィギュアスケート選手権で自己ベストを更新して2位となり、シニア初表彰台に立つことができました。
以降の成績は素晴らしく、世界選手権2位、四大陸選手権優勝、GPファイナル2年連続2位、全日本選手権3連覇とトップ中のトップ選手となりました。
しかし、2017年1月に骨密度が低かったのが原因で左股関節を疲労骨折し、数ヶ月戦線離脱してリハビリ生活となってしまいます。
同年5月に練習再開し、11月のグランプリシリーズから復帰し、シリーズ2戦目で見事優勝して完全復活、その年の全日本選手権も浅田真央さん以来の4連覇を果たすことができました。
この結果から夢の平昌オリンピック出場権を勝ち取り、4位の成績を収めました。
平昌オリンピック以降は、2018年グランプリシリーズを優勝するも、坂本花織さんや紀平梨花さんの台頭で、中々これまでのような成績は残せていません。
また、コロナウイルスの影響で大会出場機会も少なかったですが、2021年10月22日から開催されるグランプリシリーズに出場し、この期間の練習の成果を発揮してファイナル進出を目指します。
この大会を弾みに2022年北京オリンピック出場も目論んでいます。
主な戦績
🇯🇵❤️ pic.twitter.com/P6lSCvDkE0
— Misato Komatsubara 小松原美里 (@miichan728) November 11, 2019
シニアクラスに転向しても尚、日本では敵なしの活躍を見せた宮原知子さん。
その主な戦績は以下の通りです。
- 2011年 第80回全日本フィギュアスケートジュニア選手権 優勝
- 2012年 ISUジュニアグランプリシリーズ レークプラシッド大会 優勝
- 2012年 第81回全日本フィギュアスケートジュニア選手権 優勝
- 2014年 四大陸フィギュアスケート選手権 2位
- 2014年 第83回全日本フィギュアスケート選手権 優勝
- 2015年 世界フィギュアスケート選手権 優勝
- 2015年 ISUグランプリシリーズ NHK杯 優勝
- 2015年 ISUグランプリファイナル 2位
- 2015年 第84回全日本フィギュアスケート選手権 優勝
- 2016年 四大陸フィギュアスケート選手権 優勝
- 2016年 ISUグランプリファイナル 2位
- 2016年 第85回全日本フィギュアスケート選手権 優勝
- 2017年 ISUグランプリシリーズ 優勝
- 2017年 第86回全日本フィギュアスケート選手権 優勝
- 2018年 平昌オリンピック 4位
- 2018年 ISUグランプリシリーズ 優勝
一部抜粋だけでも、こんなにもタイトルを獲得する活躍をされていました。
コーチの濱田美栄さん曰く、今まで出会ったスケーターで一番努力をする子だと称賛されていたのも頷けます。
まとめ
今回は、宮原知子さんの学歴や家族情報、経歴などについてご紹介してきました。
スケーターとしての才能は決してあったわけではなく、人の何倍も努力できる才能があったからこそ、これだけの選手になることができました。
近年、思うような成績は残せていないと思いますが、再起を図るべく日々練習に取り組み、華麗な演技を見せてくれることでしょう。
今後の活躍を願い、応援していきます。