東京五輪自転車競技トラック(男子)代表の橋本英也さんは、高校時代に自転車競技で頭角をあらわし、現在はトラック競技・ロードレース・競輪とマルチな活躍を続けています。
そんな橋本英也さんの経歴、家族、幼少期について調べてみました。
橋本英也さんの学歴・出身校
橋本英也さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。
橋本英也さんのプロフィール
氏名 | 橋本英也(はしもとえいや) |
生年月日 | 1993年12月15日 |
出身地 | 岐阜県 |
身長 | 180㎝ |
体重 | 77㎏ |
血液型 | A型 |
橋本英也さんの学歴・出身校
橋本英也さんの出身大学は、鹿屋体育大学です。
鹿児島県鹿屋市にある、日本で唯一の国立体育大学で、特に水泳と自転車競技では多くのオリンピック選手を輩出しています。
卒業生には競泳やバレーボール、サッカーなど多くの有名アスリートがいますが、自転車競技では中嶋康晴選手、山本元喜選手など、トップ選手もこの大学の出身です。
また、橋本英也さんは大学卒業後の2017年に日本競輪学校に入学しました。
在学中からトラック競技にも出場し、卒業後に競輪選手となりました。
高校は岐阜県岐阜市内にある、県立岐南工業高等学校を卒業しました。
県内の公立高校で唯一の自動車科があり、卒業生は隣県のトヨタ関連の企業に就職する生徒も多いです。
また、自転車競技の強豪校として有名です。
自転車競技部は全国高校総体の4kmチームパシュート部門で何度も優勝しています。
橋本英也さんも自転車競技部に所属し、高校総体で数々優勝しています。
その実力を買われてオーストラリアでの海外レースも経験し、輝かしい成績をおさめています。
そこで自転車競技の文化の違いに衝撃を受け、自転車を一生の仕事にしようと決意し、鹿屋体育大学への進学を決めました。
出身の中学校、小学校については確認出来ませんでした。
高校は岐阜市内にあったので、同じく岐阜市内の校区だった可能性もありますが、はっきりしません。
小学生の時にトライアスロンを経験し、中学校では水泳部に所属していました。
ですが、中学生の時に高校の自転車競技部から声がかかり、高校生と一緒に自転車競技の練習をして実力をつけました。。
地元では有名な自転車少年だったのかもしれませんね。
橋本英也さんの子供時代とご家族情報
橋本英也さんは、どんな子供時代を過ごしてきたのでしょうか。
家族は両親、そして妹がいます。
父親の一二三さんはトライアスロン経験者です。
その影響か、橋本英也さんも小学生時代にトライアスロンの大会に出場しています。
そしてなんと、一二三さんは作家でもあります。
子供たちをモデルに、自転車競技を題材にした本を2冊出版されています。
トライアスロン選手の第一人者である宮塚英也さんにあやかって、息子に「英也」と名付けた一二三さん。
自転車への造詣が深いことがよくわかりますね。
また、4歳年下の妹である橋本優弥さんも自転車競技選手です。
兄と同じ鹿屋体育大学へ進学し、自転車競技部に所属しました。
そして、2017年W杯での 女子団体追い抜き、2018年アジア大会 4000mチームパシュートでそれぞれ銅メダルを獲得しています。
お二人とも父親の影響を受け、幼い頃から自転車が身近な存在で、楽しめる環境にあったのですね。
きっと兄妹で自転車に乗ってあちこちに出かけたり、競ったりしていたのでしょう。
それが今やお二人とも自転車界の有力選手となっているのですから、いい父親、いい家族に囲まれて育ったのだろうなと思います。
今後、数々の大会で、世界選手権で兄妹そろっての出場を見ることができるかもしれません。
橋本英也さんの経歴
橋本英也さんは、現在はトラック競技、ロードレース、そして競輪選手としてマルチな活躍をされています。
そんな橋本英也さんですが、どのような経緯で自転車と出会い、どのような実績があるのでしょうか。
自転車との出会い
橋本英也さんは、父親の影響で小学生の時にトライアスロンをはじめ、自転車競技生活をスタートしました。
子供の自転車というと、ペダルがないものや補助輪がついたものを思い浮かべますが、すでにスポーツ自転車で競技を始めていたとはとても恵まれた環境だったといえます。
経歴・エピソード
トライアスロンの種目の中で一番自転車が好きだったという橋本英也さん。
小学生の時に水泳も習っていましたが「自分には自転車が合っている」と感じていたそうです。
近所の空き地で友達と行った自転車レースでも無敵で、この遊びが現在の橋本英也さんのルーツになっています。
そして、中学生の時には「自転車をやりたい」という気持ちが固まりました。
おそらく当時から自転車の力はピカイチだったのでしょう。
そのため、岐阜県開催の国体に向けて、中学生から選手を育てようとする動きがあり、自転車競技部を持つ高校から声がかかることになります。
橋本英也さんはこの練習に参加し、めきめきと腕を磨きました。
高校でももちろん自転車競技部に入部し、高校総体での連覇を経て、海外レースにも参戦、大学卒業まで自転車競技で名を上げます。
卒業後、リオデジャネイロオリンピックの代表入りを逃して落ち込んだ時期もありましたが、落選を機に競輪学校への入学を決めます。
競輪学校への道を開いてくれたのが、当時の自転車ショップの店主で、現役競輪選手の児玉利文さんです。
この出会いは橋本英也さんの自転車人生の運命を変えたとインタビューで話しています。
同じ高校の自転車競技部出身で、競輪選手でありながらクリテリウムやその他のロードレースを主催したり、とても前向きで多彩な児玉さんに影響を受けました。
そして競輪学校で校長に言われた「二兎を追う者だけが二兎を得る」という言葉を胸に、見事にトラック・ロード・競輪の三兎を手に入れたのです。
日本の自転車選手の中でも、3種目をどれも好成績を収める選手はとても少なく、橋本英也さんはその先駆けといえるのではないでしょうか。
主な戦績
橋本英也さんは、高校時代から数々のレース、種目で優勝してきました。
その主な戦績は以下の通りです。
【トラックレース全日本選手権】
2011-2013:個人追抜 三連勝
2014:男子マディソン 優勝、男子チームパシュート 優勝
2017:オムニアム 優勝
【アジア選手権】
2013:団体追抜 2位
2014:オムニアム 2位
2016、2018:オムニアム 優勝
【2019-2020トラックワールドカップ】
第4戦:オムニアム 4位
第5戦:オムニアム 3位
そして2020年6月、悲願だった東京オリンピックのオムニアム代表に内定します。
2016年の代表落選の悔しさをバネに、ここまでの努力がやっと開花したのですね。
まとめ:橋本英也の学歴・出身校と経歴
今回は、橋本英也さんの学歴や経歴、家族についてご紹介しました。
幼い頃にトライアスロンを経験して自転車の面白さに目覚め、高校生の時には自転車を生涯の仕事にすることを心に決めた橋本英也さん。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは代表入りを逃し、失意の日々を送ったこともありました。
しかし、その悔しさをバネにさらに努力を重ね、念願の東京オリンピックの代表入りを果たしました。
そして、さわやかな笑顔で、ファンをますます魅了していくに違いありません。
橋本英也さんのこれからの活躍に注目していきましょう。