高校生の時までは無名だった守田英正さん。
どこの学校出身でどのような学歴なんでしょう。
また、サッカー選手になったきっかけや経歴も気になります。
守田英正さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。
守田英正さん 学歴・出身校
守田英正さんの出身校とそれぞれの特徴を大学から小学校の順にご紹介します。
また、学生時代のエピソードも併せてみていきます。
出身大学
守田英正さんの出身大学は流通経済大学 法学部ビジネス法学科です。
この大学は生徒の通学状況によりキャンパスが選択が出来るようになっています。
守田英正さんは大阪の出身ですので通えない為、寮生活をしていました。
大学の4年間はサッカー部に入って、とにかくサッカーづくしの生活を送っていました。
この大学のサッカー部は強豪校として有名で、多くのプロサッカー選手が育っていきました。
学校名 | 流通経済大学 |
学科・コース | 法学部ビジネス法学科 |
偏差値 | 38 |
所在地 | 〒301-8555 茨城県龍ケ崎市平畑120 |
最寄り駅 | 竜ヶ崎駅(関東鉄道竜ヶ崎線) |
公式サイトHP | https://www.rku.ac.jp/ |
著名な卒業生 | 佐々木旭(川崎フロンターレ)・菊地泰智(サガン鳥栖)・宮本優太(浦和レッズ)・片岡安祐美(野球) 他 |
守田英正さんの大学時代
高校時代にはなかなか活躍が出来ずに悔しい思いをしてきた守田英正さん。
その為、守田英正さんはサッカーが強くなりたくて流通経済大学に入学しました。
実は高校2年生の時に流通経済大学付属柏高校と対戦をした時に、あまりの強さに圧倒され、この大学に行くと決めたそうです。
入学は推薦では無く、いちから試験を受けて合格しました。
大学1年の時は、大会には出場できませんでしたが、サッカーが楽しくて仕方がなかったそうです。
その後大学時代に頭角を現した守田英正さん。
そのきっかけは自分のスタイルを変えた事に合ったようです。
元々攻撃型ボランチだったものを守備型ボランチへ変更することにより、実力をつけていきました。
そして、大学ナンバー1ボランチと呼ばれるまでになったのです。
大学4年の卒業時には、複数のクラブチームからのオファーを受け、結局は川崎フロンターレに入団しました。
出身高校
守田英正さんが通った高校は金光大阪高等学校です。
金光教系の私立の共学校で、スポーツが盛んで有名です。
普通科の他に特進コースが2つあり、大学に進学を目指す進学校でもあります。
特に多くのプロサッカー選手が卒業していて、Jリーグなどで活躍しています。
学校名 | 金光大阪高等学校 |
偏差値 | 45~58 |
所在地 | 〒569-0002大阪府高槻市東上牧1丁目3-1 |
最寄り駅 | 上牧駅(阪急京都線) |
公式サイトHP | https://www.kohs.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 林卓人(サンフレッチェ広島)・福森直也(ベガルタ仙台) ・田畑智子(女優) 他 |
守田英正さんの高校時代
守田英正さんの高校時代はクラブチームのユースでは無く、高校のサッカー部に入部しました。
サッカーは大好きだったけど、全国大会への出場はかなわず、全くの無名。
下手でもなく、目立つほどうまいわけでもない、とにかく好きでボールを追いかけていたとインタビューで答えています。
しかし、対戦相手からは高い評価をされていたんです。
本人は目立っていなかったと言っていますが、周りはそうは思っていなかったみたいですね。
高校3年生の時には、サッカー部のキャプテンも務めました。
高校時代の守田英正さんは、責任感が強く、走る力が素晴らしかったと監督さんからは認められていたんです。
出身中学校
守田英正さんの出身高校は高槻市立第九中学校です。
この学校は、地域の開発により生徒数が増加して作られた学校で、2学期制をとっています。
卒業生にはJリーガーもいて、サッカー部は強豪の中学です。
5歳年上の兄もこの中学校のサッカー部でした。
学校名 | 高槻市立第九中学校 |
所在地 | 〒569-1031大阪府高槻市松が丘1-17-1 |
最寄り駅 | 高槻駅(JR京都線) |
公式サイトHP | https://www.takatsuki-osk.ed.jp/kyuchu/ |
著名な卒業生 | 倉田秋(サッカー選手)・田村亮(お笑い)・河辺愛菜(フィギュアスケート) 他 |
守田英正さんの中学時代
守田英正さんは中学時代は学校のサッカー部に在籍していました。
5歳上の兄から、この中学校の顧問の先生の噂を聞き、その先生に指導してもらいたいと思ったそうです。
このサッカー部は全国レベルでは無かったですが、大阪では強いチームでした。
中学時代は人生の中でも、サッカーに最も力を入れた時期だったとのことです。
出身小学校
守田英正さんが卒業したのは高槻市立清水小学校です。
この小学校は、1887年創設とかなり歴史のある公立の小学校です。
校歌の作曲は、有名な服部良一さんが手がけました。
この小学校の近所に作家先生が住んでいて、その知人ということで作曲をすることになりました。
校歌が有名な作曲家の曲では、卒業しても忘れないでしょうね。
学校名 | 高槻市立清水小学校 |
所在地 | 〒569-1032大阪府高槻市宮之川原4-20-1 |
最寄り駅 | 高槻駅(JR京都線) |
公式サイトHP | https://www.takatsuki-osk.ed.jp/shimizu/ |
著名な卒業生 | 倉田秋(サッカー選手)・田村亮(お笑い)・佐野優子(バレーボール全日本女子) 他 |
守田英正さんの小学校時代
守田英正さんは幼稚園から小学生の間は、地元の高槻清水FCに籍を置いてプレーをしていました。
小学校の時には既に、プロになることを見据えていたんです。
父親、母親、姉はテニスをやっていましたが、守田英正さんはとにかくボールをけるのが好きだったので、サッカーを選びました。
小学生時代はボールを追いかけて、走り回っていたそうです。
そんな守田さんですが、ガンバ大阪のジュニアユースを受けて、不合格となってしまいました。
その為中学ではクラブチームへの入部ではなく、学校のサッカー部に入りました。
守田英正さん サッカー選手経歴
守田英正さんがサッカーを始めたきっかけや、経歴について見ていきましょう。
サッカー選手になったきっかけ
守田英正さんには5歳年上の兄がいます。
その兄がサッカーをやっていたので、守田さんも幼稚園の頃からサッカーを始めました。
地元の高槻清水FCで、今と同じポジションでした。
子供の頃から、攻撃的なボランチだったそうです。
サッカーも頑張っていましたが、遊びも目いっぱいの少年だったそうです。
サッカー選手の経歴
守田英正さんは大学時代に攻撃型ボランチから守備型ボランチへかわり、活躍の場を得ました。
そして、大学4年の時に、全日本大学サッカー選手権で優勝をしました。
その時には大会最優秀選手賞も受賞しました。
大学卒業後は、ボランチ以外のポジションにも理解のある川崎フロンターレに入団。
そんな守田選手の特徴は「特徴がないところ」といわれています。
複数のポジションをこなせるというのは、目立たないかもですが、重宝がられて使ってもらえますね。
川崎フロンターレに入団してすぐに、日本代表に追加で招集されていますので、目立たないどころかかなり目立っていたようです。
2021年にはポルトガルのCDサンタ・クララへへ移籍。
その後は海外で活躍しています。
主な戦績
- 関東大学サッカーリーグ戦・ベストイレブン(2017年)
- 全日本大学サッカー選手権大会・最優秀選手(2017年)
- Jリーグ・優秀選手賞(2018年)
- TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD(2018年)
- Jリーグ・ベストイレブン(2020年)
まとめ
現在はポルトガルで活躍している守田英正さんの学歴や経歴を見てきました。
高校時代は目立った成績は残せなかったが、あきらめずボールを追いかけ続けていました。
大学に入ってからスタイルを変えたことにより、唯一無二の存在で、高い評価を得られるようになりました。
今後もますますの活躍を楽しみにしています。
守田英正さん プロフィール
氏名 | 守田英正(もりたひでまさ) |
生年月日 | 1995年5月10日 |
出身地 | 大阪府高槻市 |
身長 | 177cm |
血液型 | A型 |