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ケビンス 山口コンボイ・仁木恭平の学歴(大学・高校) と芸人経歴

お笑い芸人ケビンスの山口コンボイさんと仁木恭平さん。

今年もM-1グランプリの準々決勝に進みました。

そんなケビンスの山口コンボイさんと仁木恭平さんの結成のいきさつや学歴・出身校、経歴などをご紹介します。


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ケビンスの結成


ケビンスのボケ担当の山口コンボイさんと、ツッコミ担当の仁木恭平さんの出会いは、共通の知人であるオズワルドの伊藤俊介さんの紹介です。

仁木恭平さんは元々サンミュージックプロダクションに所属していましたが、コンビ結成と解散を繰り返してピン芸人になった山口コンボイさんと組みたいと考え、山口コンボイさんが所属する吉本興業に移籍する形で結成されました。

「チョキピース」「ありがたいねぇ~」などのギャグを持ち、天然キャラ満開の山口コンボイさんを冷静にいさめる仁木恭平さんとのバランスがよく、「明るくて安心して見ていられる漫才」だと万人に愛される人気急上昇中のコンビです。

M-1グランプリ2022準決勝出場芸人一覧はこちら>>> 


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ケビンス 山口コンボイの学歴・出身校


ケビンスの山口コンボイさんの学歴について、大学から小学校まで順にご紹介します。

また学生時代のエピソードなども合わせてみていきましょう。

出身大学

山口コンボイさんは大学には進学していません。

2012年に高校を卒業後すぐに上京し、NSC東京校18期生としてお笑いを本格的に学び始めました。

小学生の頃から常にクラスの人気者だった山口コンボイさんは、大学進学は頭になかったと明かしています。

出身高校

山口コンボイさんは、新潟県内の工業系高校を卒業しました。

山口コンボイさんはSNSで卒業アルバムの写真を公開しており、制服が紺色のブレザーだったことがわかっています。

県内にある7校の工業系高校のうち、紺色のブレザーを採用している高校は以下の4校です。

  • 県立柏崎工業高等学校
  • 県立塩沢商工高等学校
  • 県立長岡工業高等学校
  • 県立新発田南高等学校

また、山口コンボイさんは高校時代に新潟県村上市に住んでいたと語っています。

村上市に一番近いのは県立新発田南高等学校ですが、今後、学校名が明かされることを期待しましょう。

山口コンボイさんの高校時代

部活動はしていなかった山口コンボイさんですが、校内では誰もが知っている有名人でした。

なぜなら、高校3年生の時に同級生とコンビ「オニオンマガジン」を結成し、『ハイスクールマンザイ2011』」で名古屋地区の準決勝進出という快挙をなし遂げたからです。

結果は惜しくも敗退でしたが、学校や地元の村は大喜びで、バイト先のコンビニでは二人のためにカンパBOXが設置され、10万円も集まるという盛り上がりを見せました。

高校時代の経験が、現在のお笑い芸人のスタートになったのですね。

出身中学校

山口コンボイさんは関川村立関川中学校の出身です。

元々の村内には2つの中学校がありましたが、2005年に女川中学校と合併し、村内唯一の中学校となりました。

アットホームな校風で、スローガンは「ありがとう、ただいま、おかえり、といいあえる社会でありますように」です。

山口コンボイさんの温かく親しみやすい人柄と重なる部分がありますね。

学校名 関川村立関川中学校
所在地 〒959-3264 新潟県岩船郡関川村大字上関589番地2
最寄り駅 越後下関駅・・JR(米坂線)
公式サイトHP http://jhs.sekikawa.ed.jp/
著名な卒業生

山口コンボイさんの中学時代

山口コンボイさんは中学校でバスケットボール部に所属し、キャプテンを務めていました。

同じ新潟県出身で、バスケットボール日本代表の富樫勇樹選手とも対戦したことがあります。

その時は105点差で大敗し、「負けた瞬間から富樫選手のファンになることにした」とSNSでつぶやきました。

しかし関川中学校も決して弱かったわけではなく、山口コンボイさんはバスケットボールで県大会にも出場する実力の持ち主です。

舞台で飛び跳ねる姿を披露することが多い山口コンボイさんですが、この頃から体を動かすことが得意だったのですね。

出身小学校

山口コンボイさんの出身小学校は非公表ですが、新潟県関川村の小学校に通っていたと思われます。

2022年現在、村内の小学校は、関川小学校のみですが、ここは2010年に村内5校の小学校統合により誕生しました。

山口コンボイさんは2006年に小学校を卒業しているため、閉校になった5校のいずれかの出身の可能性が高いです。

  • 村立安角小学校
  • 村立関小学校
  • 村立女川小学校
  • 村立川北小学校
  • 村立土沢小学校

校名と共に、小学校時代の思い出が語られるのを待ちましょう。

山口コンボイさんの小学校時代

山口コンボイさんは小学生の頃から俊足で、短距離走で国体の新潟県強化選手に選ばれた経歴を持ちます。

また、いつも笑顔で誰にでも明るく接することから、通信簿にはいつも「ステキな笑顔」と「スポーツ万能」と書かれていました。

しかし入学から卒業まで常に同じコメントだったため、「俺はこの2枚看板で回っていた」と山口コンボイさんは苦笑いしながら振り返っています。

今でも笑顔が素敵な山口コンボイさんは、少年のまま大人になったのかもしれません。


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ケビンス 山口コンボイの経歴

中学生の頃から舘ひろしさんに憧れ、今でも大ファンだと語る山口コンボイさん。

どのような経歴の持ち主なのか、詳しく見ていきましょう。

芸人になったきっかけ

山口コンボイさんは小学4年生の時にテレビで見た品川庄司の漫才に衝撃を受け、「自分も芸人になりたい」と考えるようになります。

小学校から高校まですべて体育祭で応援団長を務めるなど、常にクラスのムードメーカーだった山口コンボイさんは、高校2年生の時に学園祭で同級生とコンビを組んで漫才を披露、バカ受けしたのでした。

その楽しさが忘れられず、山口コンボイさんは翌年同級生と「オニオンマガジン」というコンビ名で『ハイスクールマンザイ2011』に出場します。

県予選を勝ち抜き、名古屋ブロックに進んだオニオンマガジンは準決勝で観客のアクシデントによりペースを崩し、頭が真っ白になってネタを忘れ敗退するという残念な結果に終わりました。

地元で有名人となり、家族の同意も得た山口コンボイさんは、高校卒業と共に上京し、NSC東京校18期生として本格的にお笑いを学ぶことになったのです。

芸人経歴

NSC在学中から同期と「エニシング」を結成するもすぐに解散、卒業後も「パラディン」「アライザライ」「キンミライ」「ドラゴンニンジャ」と、コンビ結成と解散を繰り返します。

相方が安定しないため、山口コンボイさんは「自分はコンビには向いていない」と考え始めていました。

そんな時に、芸人仲間と開催したYouTube生配信のゲストとして、オズワルドの伊藤俊介さんが連れてきたのが仁木恭平さんでした。

その時は何とも思っていませんでしたが、後日仁木恭平さんの自宅に呼ばれます。

仁木恭平さんと話し合いを重ね、「山口はスターになれるから」と言われたことがうれしく、もう一度だけコンビでやってみようと決心し、ケビンスが誕生したのです。

過去のコンビではツッコミ担当でしたがケビンスではボケに回り、仁木恭平さんの狙いどおり山口コンボイさんの魅力を引き出すコンビとして注目されました。

2022年5月に開催された初単独ライブのチケットは即完売となるなど、ケビンスに一目会いたいというファンを増やし続けています。

ケビンス 山口コンボイのプロフィール

底抜けに明るいキャラクターと、舞台で見せる「ジャンボイ」と呼ばれる大ジャンプが観客に強烈なインパクトを与える山口コンボイさん。

山口コンボイさんのプロフィールを見ていきましょう。

芸名 山口 コンボイ(やまぐち こんぼい)
本名 山口 昌孝(やまぐち まさたか)
生年月日 1993年5月25日
出身地 新潟県岩船郡関川村
身長 172cm
体重 78kg
血液型 非公表
立ち位置 向かって右

ケビンス 仁木恭平の学歴・出身校


ケビンスの仁木恭平さんの学歴について、大学から小学校まで順にご紹介します。

また学生時代のエピソードなども合わせてみていきましょう。

出身大学

仁木恭平さんは大学には進学していません。

2010年に高校を卒業後、両親を説得して上京し、フリーのお笑い芸人として活動を開始しています。

「小学生の頃からお笑い芸人になると決めていた」と語っていることからも、仁木恭平さんにとって大学は魅力的に感じられなかったのかもしれません。

出身高校

仁木恭平さんは北海道立北海道長万部高等学校を卒業しています。

自身のSNSに当時の学生証の写真を投稿していることから判明しました。

長万部町唯一の高校で、校訓は「和而不同(和して同ぜず)」です。

現在の仁木恭平さんのキャラをほうふつさせる校訓ですね。

学校名 北海道立北海道長万部高等学校
偏差値 40
所在地 〒049-3516 北海道山越郡長万部町字栄原143-1
最寄り駅 長万部駅・・JR(函館本線・室蘭本線)
長万部温泉入口停留所・・函館バス・ニセコバス
公式サイトHP http://www.oshamanbe.hokkaido-c.ed.jp/
著名な卒業生

仁木恭平さんの高校時代

仁木恭平さんは高校の進路調査票に「お笑い芸人」と書き、それを見た両親に「あんたは面白くないから無理」と一蹴されてしまいました。

スポーツも得意な一方、4コマ漫画制作やお笑いのネタ帳を書きためるなど、自分が決めた夢に向かって、両親を説得するために着々と準備を進めていたと明かしています。

ケビンスのネタ作りを担当している仁木恭平さんですが、学生時代からの積み重ねが今に活かされているのかもしれませんね。

出身中学校

仁木恭平さんの出身中学校は非公表です。

高校卒業まで長万部町に住んでいたため、町内唯一の中学校である長万部町立長万部中学校に通っていたのではないかと思われます。

仁木恭平さんは中学校時代の思い出をnoteで語っていますが、当時の写真などが出てくれば特定できる可能性がありますね。

仁木恭平さんの中学時代

仁木恭平さんは中学校で陸上部に所属し、クールで口数が少ないヤツだと周りから思われていました。

一方、東京から転校してきたヤンキー風の女子に「キモい」と言われて落ち込み、姉になぐさめられるといったかわいい一面も見せています。

そんな仁木恭平さんには中学2年生の時にモテ期が到来し、告白された彼女と一緒に登下校したり、デートに行ったりと青春を満喫していましたが、突然フラれてしまいます。

別れたい理由は「仁木君は思ったほど面白くなかったから」でした。

今では芸人として笑いを提供する仁木恭平さんにも、「面白くない」と言われた時代があるのは意外ですね。

出身小学校

仁木恭平さんの出身小学校も非公表です。

中学校と同じく、長万部町には小学校が一校しかないため、長万部町立長万部小学校を卒業していると思われます。

今後、特定につながる情報が発信されることを期待しましょう。

仁木恭平さんの小学校時代

小学生時代の仁木恭平さんは少し大人びた少年でした。

1年生の時には、手のひらを少しずらして叩く「大人の拍手」を好み、同級生と差をつけようとしていたと語っています。

また、初恋相手の「ユキちゃん」にラブレターを書き、別の女子生徒を通じて渡しましたが、「二度とこんなことしないで」という言葉とともに、開封されないままのラブレターが戻ってきたのでした。

この時のことを仁木恭平さんは「愛が書類選考で落ちた」と懐かしんでいます。

ケビンス 仁木恭平の経歴

実は算数が苦手で「高校2年生になってもひっ算ができず、掛け算をせずにいつも延々と足し算をしていた」とカミングアウトした仁木恭平さん。

どのような経歴の持ち主なのか、詳しく見ていきましょう。

芸人になったきっかけ

仁木恭平さんは小学生の頃から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の松本人志さんに憧れ、お笑い芸人になりたいと思うようになりました。

松本さんのように人とは違った視点を持ちたいと、高校を卒業するまでネタを作っては書きためる日々を送ります。

高校の進路調査票には「お笑い芸人」と書き、それを見た両親に「あんたは面白くないから無理」と一蹴されますが諦めきれず、泣き叫びながらネタ帳をビリビリに破り捨ててしまったのです。

それを見た両親は狂気を感じて上京を認め、高校卒業後はあてもないまま東京に引っ越し、事務所の養成所には入らず、フリーで活動を始めました。

「当時は人を見下すのがかっこいいと思っていた」と仁木恭平さんは振り返っています。

芸人経歴

上京後はエントリー料を払ってお笑いライブに出演していましたがパッとせず、バイトの傍ら「ネタツイ」と呼ばれるTwitterへの投稿に力を入れました。

そのネタツイが「面白い」と評判になり、同じくネタツイで人気の西山広高さんとコンビ「そうじゃねえだろ」を2013年に結成します。

ネット芸人として開花し、人気Webメディア『オモコロ』への連載が始まるなど、知名度を上げていましたが西山さんの病気により2016年にコンビは解散となりました。

解散後、西山さんから紹介されたふじこさんと「ひみつスナイパー健」を結成し、サンミュージックに所属してコント番組「ウケメン」でレギュラーを獲得します。

しかし仁木恭平さんは物足りなさを感じ「ゼロからやり直したい」と自ら解散を切り出します。

解散後、「パワーのある相方が欲しい」と考えていたところに山口コンボイさんと出会ったのです。

「僕は山口コンボイの顔面とパワーに惚れた」と語り、仁木恭平さんは山口コンボイさんを口説いてケビンスを結成、同時に吉本興業に移籍しました。

山口コンボイさんのキャラを最大限に生かしたネタを書き、舞台では調教師のようにふるまっていますが、お互いに相方で苦労した過去を持つ者同士、愛あふれるコンビとして注目を集めています。

ケビンス 仁木恭平のプロフィール

イラストやツイートネタを考えるのが得意で、Webメディアで連載を持っていたこともある仁木恭平さん。

仁木恭平さんのプロフィールを見ていきましょう。

芸名 仁木 恭平(にき きょうへい)
本名 仁木 恭平(にき きょうへい)
生年月日 1991年6月19日
出身地 北海道長万部町
身長 177cm
体重 70kg
血液型 非公表
立ち位置 向かって左

まとめ

ケビンスの結成のいきさつや山口コンボイさんと仁木恭平さんの学歴・出身校、経歴などをご紹介しました。

今年こそ決勝に進出、また今後の活躍を楽しみにしたいですね。


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