東京五輪卓球出場選手の伊藤美誠さん。
中国卓球メディアから「大魔王」と恐れられ、伊藤美誠選手対策までさせた伊藤美誠さんはどんな経歴でどこの出身なんでしょうか。
そこで伊藤美誠の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪卓球(女子))についてご紹介します。
伊藤美誠さんの学歴・出身校
幼少期からご両親の影響で卓球を始めた伊藤美誠さん。
そんな伊藤美誠さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、子供の頃のエピソードや家族構成について見ていきましょう。
伊藤美誠さんのプロフィール
氏名 | 伊藤美誠(いとう みま) |
生年月日 | 2000年10月21日 |
出身地 | 静岡県磐田市 |
身長 | 152cm |
体重 | 45kg |
血液型 | O型 |
伊藤美誠さんの学歴・出身校
伊藤美誠さんの最終学歴は私立の中高一貫学校昇陽中学校・高等学校卒業です。
この高校は大阪府大阪市此花区朝日にあり、同じ卓球選手の森さくらさんも卒業生です。
高校を卒業後はそのまま大阪に在住でスターツ(大阪)に入りました。
伊藤美誠さんは中学進学と同時に静岡から大阪のこの高校に進学しました。
そして拠点を関西卓球アカデミーに移したのも、今までより卓球に専念するためでした。
この時母親の美乃りさんと、専任コーチの松崎太佑コーチも一緒に大阪入りをしています。
小学校は静岡県の磐田市立磐田北小学校です。
小学6年で進路を決める時、母親の美乃りさんが元日本代表監督の村上恭和さんに助言をもらい大阪行きが実現しました。
伊藤美誠さんの子供時代と家族情報
自宅のリビングには卓球台があり、4歳から12歳迄は母がコーチで4歳から8歳まで1日8時間の猛特訓を続けた伊藤美誠さん。
その努力が福原愛選手の持っていた15歳での大会最年少勝利記録を塗り替えました。
伊藤美誠さんはなんと10歳2カ月で達成してしまったのです。
そんな伊藤美誠さんには幼いころから、フジテレビの「ミライモンスター」が密着取材をしていました。
小学校を卒業後に籍を置いた関西卓球アカデミーは、村上恭和監督が立ち上げた私塾で、進学を決めた昇陽中学校・高等学校とは提携関係にあります。
当時の昇陽中学校では卓球部が出来たばかりでした。
中学時代の選手経歴では14歳152日のツアー制覇は前年のダブルス最年少優勝とともにギネス記録に認定されました。
伊藤美誠さんのご家族情報としては、ご両親は元卓球選手です。
母親は卓球選手の伊藤美乃りさんで、卓球歴10年の全国レベルの選手です。
美乃りさんは結婚して伊藤美誠さんが生まれた後も卓球に打ち込んでいました。
その姿を見て幼い美誠さんは「私も卓球やりたい」と言い、2歳でラケットを握ったとのエピソードがあります。
伊藤美誠さんの卓球への一歩はお母さんの影響が大きいのですね。
ご兄弟はおらず一人っ子で育ったのでお母さんは美誠さんに卓球選手として育てることになお一層力を入れられたのですね。
伊藤美誠さんの経歴
伊藤美誠さんといえばシングルとダブルスの両方で最年少記録を持っていることで有名です。
その伊藤美誠さんの卓球との出会いや経歴を見ていきたいと思います。
卓球との出会い
伊藤美誠さんの卓球との出会いは、元卓球選手のご両親、特に母親の影響がきっかけです。
幼少期から母親の卓球練習を見ていて、自分からやりたいと言ってラケットを握りました。
2歳で卓球を始めて4歳の頃には、水谷隼さんの父親の水谷信雄コーチが代表を務める豊田町卓球スポーツ少年団に入り指導を受けるようになりました。
経歴・エピソード
選手としては、大変な成績を残していく伊藤美誠さんですが、関西アカデミーの塾生には「美誠はラリーしてくれない」「一緒に練習したくない」と言われていたそうです。
中には「バカにしている」と泣かれることもありました。
しかし当時を知る大西征夫さん(村上監督の恩師)は、伊藤美誠さんのプレイスタイルが相手を重んじているんだと見抜いていたため「美誠はバカにしているんじゃない。真剣なんだ」と話したそうです。
この時の伊藤美誠さんは相手に合わせたラリーをしたそうです。
しかし、チャンスボールがくれば容赦なく決めにくるそんなスタイルだったそうです。
伊藤美誠さんはそんなことを言われても、むしろ逆にニコニコと練習に励んでいたとのことでした。
しかし、順調に経歴を重ねる伊藤美誠さんですが試合中に負傷したこともありました。
2019年8月18日ブルガリアオープン戦女子シングルス準決勝の陳幸同選手と対戦中に目にボールが直撃し負傷してしまいました。
卓球の球速は男子選手が最速で時速180kmにもなります。
女子なのでそれよりは威力は少ないでしょうがそれでも大変なスピードです。
その球がデリケートな目に当たったのです。
メディカルタイムアウトを取り、数分後に試合に復帰しましたが、この時伊藤美誠さんの目は遠目からでも腫れ上がっていました。
結局この試合は敗れてしまいましたが、試合には復帰し、幸い大きな怪我に繋がりませんでした。
しかし目に当たったことは当時はかなりショッキングでした。
主な戦績
主な戦績としては、2008年伊藤美誠さん8歳にバンビの部、2010年伊藤美誠さん10歳でカブの部で優勝。
2011年の10歳2か月で出場した全日本卓球選手権で初勝利を収めました。これにより、それまで福原愛さんが持っていた史上最年少記録を塗り替えました。
2012年の世界ジュニア卓球選手権では日本最年少となる小6で出場。見事に女子団体で銀メダルを獲得。
2013年では世界ランクトップ100入りを果たします。この時伊藤美誠さん13歳でした。
2014年には平野美宇とダブルスでワールドツアー ドイツ、スペインオープンで2週連続優勝します。「みうみま」の誕生です。
2015年のドイツオープンのシングルスで優勝し、世界最年少優勝記録を樹立。
その年の最も躍進した選手におくられる<ブレークスルー・スター>を伊藤美誠さん15歳で受賞します。
2020年ITTF女子ワールドカップで、孫穎莎選手に2-4で敗れるも気持ちを切り替え、3位決定戦でドイツのハン・イン選手にストレート勝利。
これによって、ワールドカップで自身初、日本にとっても4年ぶりのメダル獲得。
同年4月16日、ITTF(世界卓球連盟)が世界ランキングを発表、伊藤美誠さんが初の2位になりました。
現行の世界ランキング制度が始まって以来、日本勢で最高位です。
まとめ
今回は、中国卓球メディアに大魔王・美魔王と恐れられた伊藤美誠さんの学歴や経歴を紹介しました。
メディアやファンには素敵な笑顔の伊藤美誠さんですが、素晴らしい経歴の裏には地道な努力とたゆまない訓練の賜物があったのです。
これらのことが、日本を背負って戦う伊藤美誠選手を作ったのでしょう。
今後の活躍も期待したいと思います。