敷根崇裕の学歴や経歴を紹介!出身高校や大学情報(東京五輪フェンシング・フルーレ(男子))

東京五輪フェンシングフルーレ(男子)の敷根崇裕さんは、フェンシング一家の元で生まれ、幼少期から競技を始めたフェンシングのサラブレッドです。

そんな敷根崇裕さんは、どんな経歴でどこの出身なんでしょうか。


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敷根崇裕さんの学歴・出身校

敷根崇裕さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。

敷根崇裕さんのプロフィール

氏名  敷根崇裕
生年月日  1997年12月7日
出身地  大分県
身長  183cm
体重  74kg
血液型  B型

敷根崇裕さんの学歴・出身校


大学は法政大学法学部法律学科を卒業しました。

法政大学フェンシング部は1935年に創部され、日本で1番歴史のある部になります。

創部時から現在まで変わらず強豪校として君臨し、今回の東京五輪には敷根崇裕さんの他に、見延和靖さんや西藤俊哉さんなど5人のOBが出場するほどです。

見延和靖さんの学歴や経歴はこちら

西藤俊哉さんの学歴や経歴はこちら

 

在学中にはナショナルチーム入りし、国内外の大会で好成績を納収められていました。

高校は東亜学園高等学校です。

東亜学園高等学校は、東京都中野区上高田に所在する私立高等学校です。

フェンシング部は毎年インターハイに出場し、全国制覇10回と輝かしい実績のある高校で、敷根崇裕さんの1学年上に東京五輪でチームを組む松山恭助さんがいました。

2年生時に、松山恭助さんと共に全日本選手権団体戦優勝という高校生初の快挙を成し遂げています。

松山恭助さんの学歴や経歴はこちら

 

中学は北区立稲付中学校を卒業しています。

北区立稲付中学校は、東京都北区赤羽西にある公立の中学校です。

中学から東京へ引っ越しをされています。

小学校は甲府市立石田小学校です。

甲府市立石田小学校は山梨県甲府市上石田にある公立小学校です。

生まれてすぐに大分から山梨へ引っ越し、この時に父親が監督をしていた高校へ兄と遊びに行ったのがきっかけで、フェンシングを始めることになります。

父親は少しでも早くフェンシングを見せて興味を持って欲しかったんでしょうね。

敷根崇裕さんの子供時代とご家族情報


敷根崇裕さんは、大分県で生まれてすぐに山梨県へ引っ越しされています。

父親の仕事の関係でしょうが、山梨県の高校でフェンシング部監督をされていたそうです。

幼少期に父親が監督をするフェンシング部へ遊びに行ってから競技をスタートさせ、中学までは父親の元で指導を受けており、兄の章裕さんと3人で自宅でも毎日練習していたほど熱を入れていました。

このような英才教育を受けていたので、小学生の頃から全国大会で敵がいないどの実力を発揮していました。

しかし、小学5年生時の全国大会で初めての挫折を味わいます。

どう戦っても全く歯が立たなかったそうで、その相手が東京五輪でチームを組む松山恭助さんだったのです。

そこから敷根崇裕さんの目標は松山恭助さんとなり、追いかける形で高校を選んだそうです。

父親は裕一さんで、フェンシングをされていました。

法政大学出身で、全日本選手権2位や世界選手権に何度も出場された実績があります。

引退後は高校の監督や、ナショナルチームのコーチ・強化本部長を歴任し、息子、崇裕さんが現在所属するNEXUSでコーチをされていたこともあるかなり優秀な指導者です。

母親の情報はほとんど公開されていませんが、同じくフェンシングをされていて、国体にも出場するほどの腕前だったそうです。

どうりで敷根崇裕さんがこんな素晴らしいセンスを持っているのも頷けます。

兄は章裕さんで、崇裕さんと同じ高校大学へ進んでいました。

法政大学時代はフェンシング部キャプテンをしていたほどで、実力もかなりあったそうですが、大学卒業後の戦績やランキングに名前がないことから第一線から身をひいたのかもしれません。


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敷根崇裕さんの経歴

敷根崇裕さんはフェンシング一家で育ち、小学生の頃から全国で活躍していました。

そんな敷根崇裕さんのフェンシングとの出会いをおさらいし、どんな実績があるのかを見ていきましょう。

フェンシングとの出会い

フェンシングとの出会いは幼少期で、父親が監督をする高校のフェンシング部へ兄と遊びに行ったことで競技をスタートさせます。

自然と父親が指導者となりますが、練習中も親子の関係はあえて崩さなかったそうで、指導者と選手という立場になってしまったらなにも意見ができなくなってしまうのを懸念したそうです。

あくまでも父親に教えてもらっている感覚だったのが、反抗しながらも逆にいい距離感を保ち、深く分かり合えたのかもしれないと話しています。

ただ、食事の時までもフェンシングの話をされるので、それは禁止とルールを自ら提示していたそうです。

父親へルールまで提示できるほどいい関係だったことが伺えます。

経歴・エピソード


初めてすぐの頃から全国で敵なしだった敷根崇裕さんですが、小学5年生で初めて敵わない相手と対戦し、挫折を味わいます。

その相手は松山恭助さんで、その頃から現在までもライバルとして常に意識しているほどです。

その挫折を味わうまではフェンシングをただ楽しんでいただけだが、それを機に勝ちたいと強く思うようになり、世界のトップになることを目指すことになります。

高校2年生でインターハイをエペで制します。

高校生まではフルーレとエペをしており、両方とも全高上位レベルでした。

2015年に初めてシニアの日本代表にフルーレの選手として選ばれ、個人は決勝トーナメント進出、団体では5位入賞に貢献しました。

しかし、翌年2月に行われたドイツワールドカップで結果を残せず、惜しくもリオデジャネイロ五輪出場を逃します。

しかし同年4月の世界ジュニア・カデ選手権大会で、男子フルーレ個人と団体で金メダルを獲得し、日本人選手としては史上初めての快挙を成し遂げます。

そこから成績をどんどん残し、2021年3月のグランプリドーハ大会で日本勢11年ぶりの2位となり東京五輪出場を決定させました。

主な戦績


敷根崇裕さんは、小学5年生時の挫折からさらに実力を伸ばしてきた選手です。

その主な戦績は以下の通りです。

  • 2016年世界ジュニア・カデ選手権大会 フルーレ個人、団体 優勝
  • 2017年世界選手権 フルーレ個人 3位
  • 2018年アジア選手権大会 フルーレ団体 3位
  • 2019年アジア選手権大会 フルーレ個人、団体 優勝
  • 2021年グランプリドーハ大会 フルーレ個人 2位

リオデジャネイロ五輪出場を逃してからの成長は著しく、現在世界ランキング12位と大きく上昇しました。


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まとめ:敷根崇裕の学歴・出身校と経歴

今回は、東京五輪フェンシングフルーレ(男子)の敷根崇裕さんについてご紹介しました。

フェンシングのサラブレッドでも、ここまでの道のりは決して平坦ではなく、挫折を経験したからこそ東京五輪出場できたのではないでしょうか。

団体はもちろん、個人でもメダル獲得をかなり期待されるほどの選手です。

団体、個人両方のメダルを獲得したことは前例にないので、その偉業を達成できるよう活躍を願い、応援しましょう。


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