池江璃花子さんは白血病を乗り越えられ見事に復活を果たし、また世界の舞台に戻られました。
そんな池江璃花子さんは一体どんな経歴をお持ちなのでしょうか。
そこで池江璃花子の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪競泳4×100mメドレーリレー(女子))を紹介します。
池江璃花子さんの学歴・出身校
大病を克服され世界への切符を獲得した池江璃花子さんはどんな学歴で出身校はどこなのか。
そのプロフィールや学歴について紹介します。
池江璃花子さんのプロフィール
- 氏名:池江璃花子(いけえ りかこ)
- 生年月日:2000年7月4日
- 出身地:東京都江戸川区
- 身長:171cm
- 体重:57kg
- 血液型:A型
池江璃花子さんの学歴・出身校
池江璃花子さんは日本大学進学が決まった時に白血病に罹患されたので、最終学歴は日本大学スポーツ科学科に在学中となります。
池江璃花子さんの出身高校は東京都の修徳巣鴨高校です。
この高校は水泳部が世界レベルだと有名で、池江璃花子さんはこの学校の制服を着用されテレビ番組「徹子の部屋」に出演。
中学校は東京都にある小岩中学校を卒業され、中学在学中はスイミングスクールに通っていました。
池江璃花子さんは中学校の思い出として「給食の時間が1番楽しかった」と語られるほど食欲旺盛で、そのせいか在学中には身長が16cmも伸びたそうです。
小学校は江戸川区立西小岩小学校を卒業。
この頃は母親が運営する幼児教室に12歳まで通われていました。
池江璃花子さんの子供時代とご家族情報
池江璃花子さんは自宅のお風呂場での水中出産で誕生され、生後6か月で母親の指を握りしめてぶら下がる訓練を受けていました。
自宅のリビングには雲梯を設置していて、1歳6か月で鉄棒の逆上がりを習得しました。
池江璃花子さんは5人家族で、姉と兄がいます。
実は池江璃花子のご両親は離婚されていますが、それぞれお名前は確認できました。
父親は池江俊博さんで株式会社ノーザンライツという会社の社長をされています。
池江俊博さんは元航空自衛隊の戦闘機パイロットで身長は190cmもあるそうです。
母親は池江美由紀さんで、幼児教育の専門家で幼児教室「七田チャイルドアカデミー本八幡教室」の代表をされています。
兄も水泳経験者でお名前は池江毅隼さん早稲田大学水泳部に所属。
姉はバレエをされていた時期もありましたが、水泳に転向された経歴があります。
池江璃花子さんの経歴
幼いころから母親による体作りの訓練を受け中学生では天才スイマーとなった池江璃花子さん。
その池江璃花子さんは一体どんな経歴や実績があるのでしょうか。
競泳との出会い
池江璃花子さんは3歳から水泳を始めました。
3兄妹の末っ子である池江璃花子さんは、両親の関心を引くために何でも兄や姉の真似をしたそうです。
そんなことからメキメキと才能を発揮されていき、5歳には50mで自由形・背泳ぎ・バタフライ・平泳ぎの4泳法を習得。
そこから競泳選手として経歴を重ねていきます。
経歴・エピソード
3歳から水泳を始められた池江璃花子さんは、母のサポートの元小学校時代には東京ドルフィンクラブに通います。
小学校6年生で同スクールの大人も含めた最速記録を打ち立て、こちらは現在も破られていません。
小学校3年生では全国レベル大会に出場し唯一の3年生で3位に輝きます。
中学校進学後には更なる高みを目指してルネサンス亀戸に移籍し、2014年JOC春季大会では50m及び100m自由形で短水路中学記録を更新し優勝。
数々の大会に出場、入賞を果たされます。
高校進学後はリオ五輪代表選手権選考会を兼ねた日本選手権に進学初登校もせず臨みました。
高校時代に長年所属したルネサンス亀戸から、ルネサンスに所属を変えられます。
2020年東京五輪での活躍の期待が高まる中、体調不良により合宿先のオーストラリアから帰国。
検査の結果、白血病に罹患したことが発表され療養に入られました。
主な戦績
2017年には第93回日本選手権で女子史上初の5冠を達成。
2018年の第18回アジア大会では史上初となる6冠を達成しました。
2020年8月に東京都特別水泳大会で復帰されます。
2021年2月ジャパンオープンでは女子50m自由形では2位。
オーストラリアに渡り、これからという時に白血病に罹患し帰国した池江璃花子さん。
それまでの生活から180度違う療養生活の中で、それでも復帰後を見据えて日々を過ごしていたことが復帰後の活躍で伺えました。
まとめ:池江璃花子の学歴・出身校と経歴
幼いころから、母の幼児教育によってアスリートへの階段を順調に上り中学校では天才スイマーと言われた池江璃花子さん。
高校は水泳の強豪校に進学され、池江璃花子さんはますます躍進していきました。
しかし突然の病の前に立ち止まらざるを得ない時期もありました。
それでも病をも自分の力とし復帰され、今回東京五輪への切符を獲得されました。
どんな時も諦めない、負けない自分でいられるのは幼いころからの母の教育方針が基盤にあるのではないでしょうか。