東京五輪フェンシングフルーレ(男子)の松山恭助さんは、幼少期からフェンシングを始め、日本代表のキャプテンを任されるほどの選手です。
そんな松山恭助さんは、どんな経歴でどこの出身なんでしょうか。
松山恭助さんの学歴・出身校
松山恭助さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。
松山恭助さんのプロフィール
氏名 | 松山恭助 |
生年月日 | 1996年12月19日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 180cm |
体重 | 75kg |
血液型 | B型 |
松山恭助さんの学歴・出身校
今年は筋トレ、ランニング少しだけ頑張りました。
体脂肪率も8%と良い感じで来ていましたが、ここ5日くらいで本当に太りました。
写真ではわかりづらいですが横っ腹がのってます。来年はクリロナの身体を目指します#アスリート#ボディー#筋トレ#トレーニング pic.twitter.com/RfuFVzi4vl
— Kyosuke Matsuyama/松山恭助 (@kyosuke_1219) December 30, 2020
大学は早稲田大学スポーツ科学部を卒業しています。
早稲田大学フェンシング部は1946年に創部され、2021年で75周年を迎えた伝統ある部になります。
数々の実績もあり、東京五輪には松山恭助さんの他に、加納虹輝さんもOBとして出場します。
出身高校は東亜学園高等学校です。
東亜学園高等学校は、東京都中野区にある私立の共学校です。
フェンシング部は全国屈指の強豪で、一学年下には東京五輪でチームを組む敷根崇裕さんがいます。
高校3年間の実績は凄まじく、インターハイ3連覇、高校3年生で全日本選手権団体戦を優勝しています。
インターハイ3連覇は2008年北京五輪銀メダリストの太田雄貴さん以来の快挙です。
中学は台東区立駒形中学校です。
駒形中学校は、東京都台東区にある公立の中学校です。
小学校は情報が公開されていませんでした。
駒形中学校には、以下の小学校から進学することができます。
- 上野小学校
- 大正小学校
- 蔵前小学校
- 松葉小学校
- 金竜小学校
この中のいずれかだと推測できます。
小学生時からフェンシングの実力は高く、小学5年生で初めて日本代表に選出されています。
松山恭助さんの子供時代とご家族情報
松山恭助さんは4歳からフェンシングを始めていますが、それ以外に空手も習っていたそうです。
さらに野球やサッカーも好きだった活発なスポーツ少年でした。
父親と母親についての情報は、残念ながら公開されていませんでした。
ただ、両親ともにスポーツとは無縁だったそうです。
二つ上にお兄さんの大助さんがいます。
兄の大助さんもフェンシングをしており、高校、大学も恭助さんと同じ学校を卒業しています。
大学卒業と同時に選手としては引退されていますが、大会では上位の成績を収めるくらいの実力があり、現在は杉並ジュニアフェンシングチームでコーチをされています。
松山恭助さんの経歴
松山恭助さんは、幼少期から現在までずっと第一線で活躍してきました。
そんな松山恭助さんですが、どのような経緯でフェンシングと出会い、どんな実績があるのでしょうか。
フェンシングとの出会い
4歳の時に自宅のポストに入っていたチラシを母親が見て、「行ってみない?」と言われたのがフェンシングを始めたきっかけでした。
母親がフェンシングを選んだ理由は、個人スポーツなので周りに迷惑をかけないだろうという理由だったそうです。
スターウォーズが好きだったこともあり、ライトセーバーで戦っている感覚ですぐにフェンシングが好きになり、早くから結果も出していました。
経歴・エピソード
4歳からフェンシングを始めメキメキと上達し、小学2年生で全国大会優勝を果たします。
そして小学5年生時に早くも日本代表に選出される程の実力をつけていました。
その頃には地元のフェンシングスクールではなく、早稲田大学フェンシング場内で活動していたワセダクラブに移籍して練習していました。
中学3年生では世界カデ選手権大会で優勝し、世界でも通用することを証明します。
その実績を提げて、高校は強豪の東亜学園高校に進学します。
国内での実績は圧倒的で、太田雄貴さん以来インターハイ3連覇の快挙を達成します。
さらには高校3年生時には、全日本選手権団体戦を東亜学園高校チームで優勝という歴史的な偉業を成し遂げます。
その時の一学年下には、東京五輪でチームを組む敷根崇裕さんがいました。
この頃からポスト太田雄貴と呼ばれるようになります。
早稲田大学に進学し、2年生時に全日本選手権個人フルーレで優勝しています。
国際大会では、代表キャプテンとして2017.18年のワールドカップ団体戦で3位に貢献しています。
ここまで順調に来たと側からは見えますが、本人は高校2年生の頃から苦悩の日々だったと話しています。
団体戦では国際大会で成績を残せていたものの、個人では一つ下の西藤俊哉さんや敷根崇裕さんが上位の成績を残しており、ずっともどかしさを感じていました。
それを解消してくれたのが、男子フルーレ日本代表コーチのオレグ・マツェイチュクさんでした。
他人と比べず、自分の日が来るまで我慢して前を向き、練習し続けろという言葉をもらい、吹っ切ることができました。
そして、2020年の全日本選手権では4年ぶりの優勝を果たし、東京五輪出場を内定させることができました。
主な戦績
全日本選手権優勝です🏆
日々サポートして頂いてる@JTB_sports @adidas_jp に感謝です🙏#フェンシング#全日本選手権 pic.twitter.com/jklNGaZS1X— Kyosuke Matsuyama/松山恭助 (@kyosuke_1219) September 26, 2020
松山恭助さんは小学生時から日本代表に選ばれ、高校以降は国際大会でもしっかり活躍されてきました。
その主な戦績は以下の通りです。
- 2012~14年 インターハイ個人・団体 優勝
- 2016年 全日本選手権個人フルーレ 優勝
- 2017年 ワールドカップ杯東京大会団体 3位
- 2018年 ワールドカップドイツ大会団体 3位
- 2018年 全日本学生選手権 優勝
- 2019年 アジア選手権団体 優勝
- 2020年 全日本選手権個人フルーレ 優勝
日本代表キャプテンに相応しい戦績を収められていますね。
現在世界ランキング32位、国内ランキング1位と東京五輪でのメダル獲得最有力候補です。
まとめ:松山恭助の学歴・出身校と経歴
今回は東京五輪フェンシングフルーレ(男子)の松山恭助さんについてご紹介しました。
母親の勧めで4歳からフェンシングを始め、ここまでずっと第一線で活躍してきました。
インターハイ3連覇し、ポスト太田雄貴と呼ばれるようになり重いプレッシャーがのしかかったり、後輩が自分よりいい成績を収め、苦悩の日々もありました。
それを乗り越えたからこそ今があるのです。
東京五輪出場は通過点で、メダルを獲ることが目標と公言しています。
得意の頭脳的なプレーで、公言通りメダル獲得をしてくれることでしょう。