この記事ではお笑い芸人「おいでやすこが」のおいでやす小田さんと、こがけんさんの出身校や経歴について紹介します。
お互いにピン芸人ですが、ユニットを組んで出場した『M-1グランプリ2019』で注目を浴びました。
どのような経歴を経て人気者になったのかを見ていきましょう。
おいでやす小田の出身大学・高校や経歴
大声でのツッコミが特徴で、ジェット機のエンジン音と同じ100デシベルをたたき出したこともあるおいでやす小田さん。
どのような学歴の持ち主なのか、プロフィールや芸人になったきっかけ、経歴について見ていきましょう。
おいでやす小田の出身大学
おいでやす小田さんは、大阪電気通信大学を中退しています。
1961年に開校した私立大学で、多くのクリエイターやエンジニアを生み出していることで有名です。
おいでやす小田さんの所属学部は不明ですが、大学の昼休みに突然芸人になることを思い立ち、NSCのパンフレットを取りに行き、中退したと語っています。
うたのおにいさんとして活躍した速水けんたろうさん、ゲーム『桃太郎電鉄』シリーズの監修でも知られるゲームライターのさくまあきらさんも、この大学の卒業生です。
学校名 | 大阪電気通信大学(※中退) |
学科・コース | – |
偏差値 | 37.5~45 |
所在地 | 〒572-8530 大阪府寝屋川市初町18-8 ※寝屋川キャンパス |
最寄り駅 | 寝屋川市駅・・京阪電鉄(本線) ※寝屋川キャンパス |
公式サイトHP | https://www.osakac.ac.jp/ |
著名な卒業生 | 速水けんたろう・さくまあきら(ゲームデザイナー) |
おいでやす小田の大学時代
おいでやす小田さんは、京都の実家から大阪の大学まで通っていたと明かしています。
しかし、あまり勉強熱心ではなかったのか京都に滞在していることが多く、アルバイトは南禅寺の近くにある湯豆腐店と、木屋町にある和食店をかけ持ちしていたそうです。
湯豆腐は京都の代表的な食べ物として知られ、おいでやす小田さんは当時のことを「京都らしさがあふれる場所でのバイトだった」と振り返っています。
京都のはんなりとした雰囲気とは異なるキャラのおいでやす小田さんが、当時どのような感じでバイトしていたのか、気になりますね。
おいでやす小田の出身高校
おいでやす小田さんの出身高校は、京都府立北稜高等学校です。
1980年に開校し、普通科の中に文理、英語、総合の3つのコースを持つグローバルな学校としても知られています。
同じく吉本興業に所属しているミキの昴生さん、亜生さん、チュートリアルの徳井義実さん、福田充徳さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 京都府立北稜高等学校 |
学科・コース | – |
偏差値 | 49 |
所在地 | 〒606-0015 京都府京都市左京区岩倉幡枝町154 |
最寄り駅 | 北稜高校前バス停・・京都バス(40・50系統) 木野駅・・叡山電鉄(鞍馬線) |
公式サイトHP | 京都府立北稜高等学校 |
著名な卒業生 | ミキ(昴生、昴生)・チュートリアル(徳井義実、福田充徳) |
おいでやす小田の高校時代
高校時代のおいでやす小田さんは部活動には参加せず、ストリートバスケにハマっていました。
放課後にはバスケットゴールのある公園に出向き、名前も年齢もわからない人たちとバスケを楽しむ日々を送っていたそうです。
NBAの人気選手だったケニー・アンダーソンにあやかり、当時のあだ名は「ケニー」だったと明かしています。
また、当時の思い出として「鴨川でソーセージマフィンを食べていたら、トンビに取られた」というエピソードも披露しています。
鴨川の川べりはデートスポットとしても名高い場所ですが、おいでやす小田さんは誰と一緒にソーセージマフィンを食べていたのか、聞いてみたいところですね。
おいでやす小田の出身中学校
おいでやす小田さんの出身中学校は、 京都市立洛北中学校です。
1947年に前身の中学校が設立され、1952年に現在の校名となりました。
京都府には府立洛北高等学校とその附属中学校がありますが、おいでやす小田さんの出身校は市立で全くの別物です。
3学期制を採用していますが、他の中学校にはない「I期・II期・III期」という呼び方をすることで知られています。
お笑いトリオ「ヒップアップ」の元メンバーで、『オレたちひょうきん族』のアダモちゃんで人気を博した島崎俊郎さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 京都市立洛北中学校 |
学科・コース | – |
偏差値 | – |
所在地 | 〒606-0021 京都府京都市左京区岩倉忠在地823番地 |
最寄り駅 | 岩倉駅・・叡山電鉄(鞍馬線) 国際会館駅・・京都市営地下鉄(烏丸線) 岩倉駅前バス停・・京都バス(21,23,24,26,29,41,43系統) |
公式サイトHP | 京都市立洛北中学校 |
著名な卒業生 | 島崎俊郎(お笑い芸人) |
おいでやす小田の中学校時代
おいでやす小田さんは中学校に入学後、サッカー部に入部しました。
サッカーには熱心に打ち込んでいましたが、それと並行して中学2年生の頃から公園での3on3のバスケで腕を磨くようになります。
そのハマりようは相当なもので、現在では芸能界屈指のNBA通として、関連する雑誌の収集家としても知られるようになったのです。
今の芸風から考えると、11人で行うサッカーよりも少人数で、自由度が高かったのがおいでやす小田さんに合っていたのかもしれませんね。
おいでやす小田の出身小学校
おいでやす小田さんの出身小学校は、非公開です。
出身中学校の校区を確認すると、以下のいずれかの可能性が高いと思われます。
・京都市立岩倉南小学校
・京都市立岩倉北小学校
・京都市立鞍馬小学校
・京都市立静原小学校
・京都市立明徳小学校
今後、情報が発信されることに期待しましょう。
おいでやす小田の小学校時代
おいでやす小田さんは有名な神社仏閣が多く、山や川などの自然にも恵まれた京都市左京区で育ちました。
「父親が山菜取りの名人だったので、小学生の時は一緒に山菜やギンナンを採りに行っていた」とおいでやす小田さんは取材で答えています。
当時は自然の恵みのおいしさが理解できず、「苦いな」と思っていたそうですが、今となってはいい思い出になっているそうです。
他にも夏になると家の近くの木にはちみつを塗り、クワガタやカブトムシを捕まえたり、夜には川にホタルを見に行ったりしていたそうですよ。
よき日本の田園風景の中で、おいでやす小田さんはのびのびと育ったのですね。
おいでやす小田の芸人経歴
中学生の弟子のヒデくんが栃木からイチゴ送ってくれた!
しばらく朝ごはんにしよ〜 pic.twitter.com/GNcXlAlC46
— おいでやす小田@京都大好き芸人 (@oideyasuoda) January 21, 2022
その風貌とネタから「学校の進路指導教師っぽい」と話題になったこともあるおいでやす小田さん。
どのような経歴があるのかを見ていきましょう。
芸人になったきっかけ
おいでやす小田さんは、高校時代からダウンタウンに影響を受け、お笑い芸人になりたいとひそかに考えていましたが、両親には言い出せず、大学へ進学します。
大学2年生の時にクラスメイトの前で部活紹介をしたところ、ウケたことをきっかけにやはりお笑いの道に進もうと決意し、NSCの願書を取り寄せました。
翌年、両親の反対を押し切って大学を中退後、NSC大阪校に23期生として入所し、芸人としてのスタートを切っています。
NSCを卒業後、西森洋一さん(現:モンスターエンジン)とコンビ「蛇腹」を結成しますが1年半で解散しています。
解散後は奥重敦史さん(現:吉本新喜劇)と「土瓶」を結成して活動しましたが、4年半後に解散し、2008年からはピン芸人として再スタートを切りました。
主な活動経歴
ピン芸人に転向後は大阪で舞台を中心に活動し、「コンビニの店長のバイト面接」や「進路指導教師」など十八番のネタも多く披露していました。
2018年からは拠点を東京に移し、主に大宮ラクーンよしもと劇場で活動していました。
その劇場でのイベント「大宮ツッコミNo.1選手権」で、くじ引きでたまたまコンビを組むことになったこがけんさんを相手にツッコミを披露し、思いがけなく優勝してしまいます。
「こがけんとのユニットも悪くない」と考えたおいでやす小田さんは、改めてこがけんさんに声をかけ、ユニット「おいでやすこが」が誕生しました。
2020年のM-1グランプリでは快進撃を続けて決勝に進出し、結果は準優勝でしたが一気に知名度を上げ、テレビに引っ張りだこの人気者となりました。
今ではバラエティ番組でインパクトのあるツッコミで存在感を示すだけではなく、NHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』でキレの良い酒屋のおじさんを演じるなど、活動の幅を広げています。
おいでやす小田のプロフィール
芸名 | おいでやす小田(おいでやすおだ) |
本名 | 小田 芳裕(おだ よしひろ) |
生年月日 | 1978年7月25日 |
出身地 | 京都府京都市 |
身長 | 173cm |
体重 | 56kg |
血液型 | A型 |
立ち位置 | 向かって右 |
こがけんの出身大学・高校や経歴
独学で英語を学び、動画サイトでも流ちょうな英会話術を披露しているこがけんさん。
どのような学歴を持っているのか、こがけんさんの学歴を大学から小学校まで順に紹介します。
こがけんの出身大学
こがけんさんの出身大学は、慶應義塾大学商学部です。
東京都港区に本部を持つ名門私立大学で、商学部は本部と神奈川県横浜市にキャンパスがあります。
福澤諭吉が1858年に開校した「蘭学塾」を起源に持ち、私立大学として初めて授業料をとるなど、近代日本の教育制度に大きな影響を与えた大学だと言われています。
お笑い界においてもオリエンタルラジオの中田敦彦さん、真空ジェシカの川北茂澄さん、ピン芸人のふかわりょうさんなど、多くの卒業生が活躍中です。
学校名 | 慶應義塾大学 |
学科・コース | 商学部 |
偏差値 | 65~67.5 |
所在地 | 〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 ※三田キャンパス |
最寄り駅 | 田町駅・・JR(山手線、京浜東北線) 三田駅・・都営地下鉄(浅草線、三田線) 赤羽橋駅・・都営地下鉄(大江戸線) ※三田キャンパス |
公式サイトHP | https://www.keio.ac.jp/ja/ |
著名な卒業生 | 中田敦彦(オリエンタルラジオ)・川北茂澄(真空ジェシカ)・ふかわりょう |
こがけんの大学時代
大学時代のこがけんさんは音楽サークル「ユーロロック研究会」に所属し、約70人のメンバーをまとめる代表を務めるなど、熱心に活動していました。
また、バイトでは大手学習塾で国語の講師を務めるなど、リーダーシップを発揮した学生生活を送っていたことがうかがえます。
サークルでは洋楽コピーバンドでボーカルを担当し、ライブでは相当な人気者だったそうです。
「当時学んだ歌い方やライブの盛り上げ方が、現在のピンでの芸風に生かされている」と、こがけんさんは語っていますよ。
こがけんの出身高校
こがけんさんの出身高校は、福岡県立明善高等学校です。
1783年に久留米藩の学問所として設立された歴史があり、現在は県内でもトップクラスの進学校です。
科学技術や理数教育を重点的に行う高校として文部科学省が制定した「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」に指定されており、教育レベルの高さがうかがえます。
ミュージシャンでシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 福岡県立明善高等学校 |
学科・コース | – |
偏差値 | 70~72 |
所在地 | 〒830-0022 福岡県久留米市城南町9-1 |
最寄り駅 | 久留米駅・・JR(鹿児島本線) |
公式サイトHP | 福岡県立明善高等学校 |
著名な卒業生 | 鮎川誠(ミュージシャン) |
こがけんの高校時代
こがけんさんは、周りに恵まれた高校生活を送っていたようです。
当時の同級生や後輩とは現在も交流があり、久留米で仕事があった際には集まって楽しんでいる様子をSNSにアップしています。
超進学校の学生らしく、3年生の時には受験勉強に励んでいた、とインタビューで明かしました。
英語が得意で多くのフレーズを持ちネタにしているこがけんさんの豊富な知識は、この頃に得たものなのかもしれませんね。
こがけんの出身中学校
こがけんさんの出身中学校は、福岡教育大学教育学部附属久留米中学校です。
大学が国立大学法人へ移行したことに伴い、2004年に福岡教育大学附属久留米中学校に改称しています。
地元では優秀な学校として知られており、卒業生の多くが国立大学へ進学するとも言われています。
元衆議院議員で、東日本大震災復興特別委員長などを務めた政治家の古賀一成さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 福岡教育大学教育学部附属久留米中学校 (現:福岡教育大学附属久留米中学校) |
学科・コース | – |
偏差値 | 64 |
所在地 | 〒830-0051 福岡県久留米市南1-3-1 |
最寄り駅 | 久留米高校前駅・・JR(九大本線) 花畑駅・・西日本鉄道(大牟田線) 附属校前バス停・・西日本鉄道バス(6,32,55番線) |
公式サイトHP | 福岡教育大学附属久留米中学校 |
著名な卒業生 | 古賀一成(政治家) |
こがけんの中学校時代
中学生になったこがけんさんは、キャラを変えて新しい自分になることを決心しました。
内部進学で入学したこがけんさんには、中学受験で入学してきた新しいクラスメイトが輝いて見えたそうです。
ルックスもスポーツでも目立たない自分がモテるためには“知識”で勝つしかない、と考えたこがけんさんは、とにかく授業中に手を挙げることを心がけることにしました。
手を挙げるためには授業を真面目に聞く必要があり、手を挙げることで自然に成績も上がっていったのです。
最終的には先生の信頼を勝ち取り、授業中に寝ていても「あいつは勉強しすぎだろうからそのまま寝かしてやれ」と言われるまでになりました。
「この経験で、いろいろな人から信頼を得るということを学んだ」とこがけんさんは振り返っています。
こがけんの出身小学校
こがけんさんの出身小学校は、福岡教育大学教育学部附属久留米小学校です。
2024年5月に公開されたインタビュー記事で、出身小学校を始めて明かしました。
1907年に福岡県女子師範学校の付属小学校として開校し、1932年から学校給食が開始されるなど、先進の教育体制を進めてきたことで知られています。
附属中学校で紹介した政治家の古賀一成さんや、ジャパンラグビートップリーグで活躍した元ラグビー選手の秋山哲平さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 福岡教育大学教育学部附属久留米小学校 (現:福岡教育大学附属久留米小学校) |
学科・コース | – |
偏差値 | – |
所在地 | 〒830-0051 福岡県久留米市南1-3-1 |
最寄り駅 | 久留米高校前駅・・JR(九大本線) 花畑駅・・西日本鉄道(大牟田線) 附属校前バス停・・西日本鉄道バス(6,32,55番線) |
公式サイトHP | https://kurumees.fukuoka-edu.ac.jp/ |
著名な卒業生 | 古賀一成(政治家) |
こがけんの小学校時代
こがけんさんは自身の小学校時代を「人生で一番勉強した時期だった」と語っています。
小中一貫校の出身ですが、中学校に入学するには内部進学試験があり、絶対に落ちることはできないというプレッシャーがありました。
こがけんさんは10年分の過去問題集を入手し、最後には背表紙が割れて問題集が真っ二つになるほど繰り返し解いたそうです。
「“自分は本番に弱い”という自覚があり、繰り返し問題を解くことが心の支えになった」という言葉からもわかる通り、冷静で真面目な小学生だったことがうかがえますね。
こがけんの芸人経歴
ビーポジティブ‼️ pic.twitter.com/ALXlmtDuRr
— こがけん(おいでやすこが) (@kogakogaken) December 20, 2021
千原ジュニアさんに料理の腕前を認められ、「一押しメニューは“鶏肉のガランティーヌ”」とテレビ番組で推薦してもらったことがあるこがけんさん。
芸人になったきっかけや経歴について見ていきましょう。
芸人になったきっかけ
こがけんさんは両親の影響を受け、お笑いよりも映画を好んで見ている少年でした。
大学に進学後も洋楽サークルでバンドのボーカルを担当するなど、お笑いとは縁のない生活を送っていましたが、就職活動に嫌気がさしてしまいます。
将来像が見えなくなったこがけんさんは、大学の同級生だった「かんし(現:ピストジャム)」さんに誘われ、大学を卒業後は親にも告げず、軽い気持ちでNSC東京校に7期生として入校したのでした。
入校後はかんしさんとコンビ「マスターピース」を結成しますが、NSC卒業5ヶ月後の2002年8月に解散してしまいます。
解散後は芸人活動を休止し、実家の居酒屋を継ぐために板前修業に入ったのでした。
主な活動経歴
2008年、友人の結婚式で司会を務めたことをきっかけに、再びかんしさんとコンビ「ワンドロップ」を結成し、芸人復帰を果たします。
ところが相方との喧嘩が絶えず、「仲悪いコンビ」の代名詞のようになった挙句、2012年に再び解散後、ピン芸人として活動を始め、得意の映画ネタや歌ネタで舞台に立ちます。
こがけんさんが注目されるようになったのは、2016年の『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「伝わらないモノマネ選手権」でした。
ハリウッド映画のワンシーンを再現し、最後に“オーマイガー!”で落ちるネタは出演者の大爆笑を誘い、「あれ誰?」とSNSで話題になります。
並行してライブでも活動を行っていましたが、そこでたまたま出会ってユニットを組んだおいでやす小田さんと意気投合し、ユニット「おいでやすこが」としての活動も始めました。
おいでやすこがは2020年のM-1グランプリで準優勝し、出しゃばり過ぎないキャラでCMやバラエティにも多く出演しています。
また、映画の知識と英語力を生かして『金曜ロードショー』ナビゲーターも務めるなど、マルチな活躍を見せています。
こがけんのプロフィール
芸名 | こがけん(こがけん) |
本名 | 古賀 憲太郎(こが けんたろう) |
生年月日 | 1979年2月14日 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
身長 | 178cm |
体重 | 60kg |
血液型 | A型 |
立ち位置 | 向かって左 |
おいでやすこがの結成
おいでやすこがは吉本興業に所属のお笑い芸人で、おいでやす小田さんと、こがけんさんのユニットです。
ピン芸人として活動中の二人ですが、ライブの企画でたまたま組んでネタを披露したところウケが良く、その勢いでM-1グランプリへの挑戦を決め、2019年にユニットを結成しました。
翌2020年にはピン芸人のユニットとしては初のM-1グランプリ決勝に進出し、準優勝したことで、お茶の間にその名を知られることになりました。
漫才、コントの両方を行い、こがけんさんの歌に合わせた言葉遊びのボケに対して、おいでやす小田さんがキレ倒すスタイルで、二人のいいバランスを保っています。
同業者からも「おいでやす小田さんの強烈な個性をこがけんさんが上手く中和している」と評価され、「ピンのスペシャリストのドリームマッチ」と称されることもありました。
先輩や周りの芸人からは正式なコンビ結成を勧められましたが、現時点ではお互いの長所を生かすために「ピン芸人同士のユニット」というスタイルを貫いています。
まとめ
今回は、おいでやすこがの学歴や経歴、芸人になったきっかけについてご紹介しました。
コンビを解散し、40歳を過ぎるまでピン芸人として苦労した過去を持つ二人は、劇場でのくじ引きをきっかけにユニットを結成し、人気芸人の仲間入りを果たしました。
まったく違う個性を持ち、ピン芸人として確立した芸を持つ二人が織りなすネタは、見る人に「それあるある!」とくすっと笑わせる魅力を持ちます。
周りからは正式なコンビ結成を勧められることもある二人ですが、ともに「今の関係性と距離感がちょうどいい」と語っています。
コンビの苦労を知る二人は、これからも絶妙の距離感とほどよいチグハグさで、私たちを楽しませてくれることでしょう。