日本女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)のINAC神戸レオネッサに所属し、ディフェンダー(DF)としてプレー中の三宅史織さん。
チームでは不動のセンターバックとして活躍し、試合の流れによってはサイドバックもこなせる器用さと、高い攻撃力が魅力の選手です。
そんな三宅史織さんはどのような子供時代を送ってきたのでしょうか。
三宅史織さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。
三宅史織の学歴・出身校
🎉Happy Birthday🎂
本日10月13日は…#三宅史織 選手のお誕生日🍾
おめでとうございます㊗️Happy Birthday Shiori MIYAKE !! OCT.13#INAC神戸 #HappyBirthday #HBD pic.twitter.com/3ohLDNg0Gc
— INAC神戸レオネッサ公式 (@inac_kobe2001) October 13, 2022
いじられキャラで知られ、「三宅の周りからはいつも笑いが絶えない」とチーム内ではムードメーカーとして慕われている三宅史織さん。
三宅史織さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。
出身大学
三宅史織さんは大学には進学していません。
高校を卒業後、2014年にINAC神戸レオネッサに正式加入し、プロサッカー選手として本格的に活動を開始しました。
高校3年生の6月に特別指定選手としてレオネッサで活動し、9月には飛び級でなでしこジャパンに召集されるなど、すでに活躍が際立っていたため、大学進学は考えていなかったと思われます。
出身高校
三宅史織さんの出身高校は、福島県立富岡高等学校です。
1950年に普通高校として設立され、2006年からはJFAアカデミー福島のアカデミー生の受入先に特化するため、普通科を廃止して国際スポーツ科を設置しています。
サッカー以外にも、バドミントンやゴルフ選手の有力選手を受け入れていましたが、東日本大震災の影響により2011年以降は校舎を使えず、近隣の高校で授業せざるを得ない状況になっていました。
震災後の教育体制を見直すために、2015年に福島県が設立したふたば未来学園高等学校の開校に伴い、残念ながら2017年度末で閉校しています。
三菱重工浦和レッズレディースでプレーする菅澤優衣香さんやアルビレックス新潟レディースで活躍中の平尾知佳さん、バドミントン選手の桃田賢斗さんもこの学校の卒業生です。
学校名 | 福島県立富岡高等学校 ※閉校 |
学科・コース | 国際・スポーツ科 |
偏差値 | 39 |
所在地 | 〒979-1111 福島県双葉郡富岡町小浜字中央632 |
最寄り駅 | 富岡駅・・JR(常磐線) |
公式サイトHP | http://www.tomioka-h.fks.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 菅澤優衣香、平尾知佳(サッカー選手)・桃田賢斗(バドミントン選手) |
三宅史織さんの高校時代
小学校卒業後、JFAアカデミー福島に入門して寮生活を開始した三宅史織さんは、サッカー漬けの日々を送っていました。
高校1年生だった2011年に初めてU-16日本女子代表に選ばれ、翌2012年のFIFA U-17女子ワールドカップでは4試合に先発出場し、チームは準々決勝進出を果たしています。
ワールドカップでの活躍が関係者の目にとまり、2013年6月には特別指定選手制度を利用して、JFAアカデミー福島に所属しながらINAC神戸レオネッサに加入しています。
その翌月にはU-19日本女子代表としてアメリカに遠征、9月には飛び級でなでしこジャパンに召集されるなど、高校生ばなれした活躍を見せていました。
学業との両立は大変だったことが想像できますが、期待されていたことがよくわかりますね。
出身中学校
三宅史織さんは、楢葉町立楢葉(ならは)中学校に入学後、2年生の時に御殿場市立富士岡中学校に転校しています。
JFAアカデミーが拠点にしていた福島県双葉郡は2011年の東日本大震災で避難区域に指定され、静岡県御殿場市への一時移転を余儀なくされました。
それに伴い、当時のアカデミー生も富士岡中学校に転校しています。
楢葉中学校はいわき市の仮校舎に一時移転していましたが、2017年からは楢葉町で授業を再開しました。
どちらの中学校も、多くのプロサッカー選手の母校として知られています。
学校名 | 楢葉町立楢葉中学校 |
所在地 | 〒979-0604 福島県双葉郡楢葉町北田鐘突堂2-1 |
最寄り駅 | 竜田駅・・JR(常磐線) 睦合東中学校入口バス停・・神奈川中央交通 |
公式サイトHP | https://sites.google.com/fcs.ed.jp/naraha-j |
著名な卒業生 | 平尾知佳(サッカー選手)、吉武愛美(元サッカー選手) |
学校名 | 御殿場市立富士岡中学校 |
所在地 | 〒412-0035 静岡県御殿場市中山825-1 |
最寄り駅 | 富士岡駅・・JR(御殿場線) |
公式サイトHP | 富士岡中学校のサイト |
著名な卒業生 | 遠藤純、平尾知佳、三戸舜介(サッカー選手) |
三宅史織さんの中学時代
サッカーが大好きだった三宅史織さんはJFAアカデミー福島のセレクションに合格し、小学校卒業後に地元を離れ、福島県で中学校生活を始めました。
日本サッカー協会が推進して将来のプロサッカー選手を養成するJFAアカデミー福島では、6年間寮生活を行い、アカデミーと連携した学校に通いながらサッカーの技術を学びます。
2006年のアカデミー開校後、サッカーエリートをはぐくむ県として知られるようになった福島県でしたが、2011年の東日本大震災によりアカデミーは一時中断することになりました。
アカデミー生も被災し、学校に通えない状況となりましたが、静岡県御殿場市にアカデミーを仮移転することが決まり、4月からは転校してアカデミーも再開されることになったのです。
日常生活を送るのも困難な日々でしたが、三宅史織さんはサッカーを続けることを選んでおり、本当にサッカーが好きなことがわかりますね。
出身小学校
三宅史織さんの出身小学校は、札幌市立真栄小学校です。
札幌市の東部、清田区にある小学校で、周りには住宅地が広がっています。
札幌市が進める「小中一貫教育」の方針に伴い、近隣の小学校と連携して「自立した札幌人」を共通テーマに教育活動を行っているのが特徴です。
「いちょうっ子」と呼ばれる、学年の枠組みを超えた課外活動も盛んに行われ、生徒間のコミュニケーションが取りやすい環境が整っています。
北海道を拠点に活動しているシンガーソングライターの佐藤広大さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 札幌市立真栄小学校 |
所在地 | 〒004-0811 北海道札幌市清田区美しが丘1条1-1-10 |
最寄り駅 | 清田区体育館前バス停・・北海道中央バス |
公式サイトHP | https://www.shinei-e.sapporo-c.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 佐藤広大(シンガーソングライター) |
三宅史織さんの小学校時代
三宅史織さんは小学校入学と同時に地元のサッカーチーム「真栄サッカー少年団」に入団しました。
元日本代表で現在北海道コンサドーレに所属の西大伍さんも所属していたチームで、地元では強豪チームとして知られています。
三宅史織さんはサッカーの楽しさに目覚めましたが、冬の北海道は降雪により外で練習できないこともしばしばです。
そんな時は屋内でフットサルをプレーし、スキーやスノーボードにも熱中していました。
ウインタースポーツで鍛えられた足腰が、サッカーにもいい影響を与えたのかもしれませんね。
三宅史織の経歴
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今日は #ひまわりの日 🌻
\ひまわりの花言葉である
「憧れ」「尊敬」にちなんで
女子サッカー界のレジェンド#澤穂希 さんとWEリーガーの1枚📸✨#Yogibo #WEリーグ #今日はなんの日#INAC神戸レオネッサ 🔴#伊藤美紀 #三宅史織@inac_kobe2001 pic.twitter.com/KmPbjom7zP— WEリーグ|日本女子プロサッカーリーグ (@WE_League_JP) July 14, 2022
飛行機が苦手で、「魔法が使えたら何をしたい?」という問いかけに「瞬間移動!遠征先や帰省が楽になる」と即答した三宅史織さん。
三宅史織さんがサッカーを始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。
サッカー選手になったきっかけ
三宅史織さんは兄の影響を受けて、小学校入学と同時にサッカーを始めました。
春から秋はサッカー、冬はスキーやスノーボードに夢中になり、「とにかく1年中運動していた」と三宅史織さんは当時を振り返っています。
特にスキーは得意で、日本スキー協会が実施する技能テスト(スキーバッジテスト)の認定バッジを持つ実力の持ち主です。
サッカーも上達し、小学校卒業をひかえた頃、三宅史織さんはJFAアカデミー福島のセレクションの話を耳にします。
力だめしで受験してみたところ見事に合格し、サッカーエリートとしての道を歩むことになったのでした。
三宅史織さんの経歴
アカデミーで鍛えられ、高校時代には海外チームとの試合も経験してリトルなでしこの顔として知られるようになった三宅史織さんは、特別指定選手としてINAC神戸レオネッサに加入しました。
順調にサッカー人生を歩んできた三宅史織さんですが、ここで高い壁を経験することになります。
当時のINAC神戸には、澤穂希さんをはじめ2011年のワールドカップ優勝メンバーが多数在籍しており、レベルの違いに驚いたのです。
練習について行くのに苦労し、人目もはばからず悔し涙を流すこともたびたびでした。
心折れる日々が続きましたが、そんな時にチームメイトで同じDFの近賀ゆかりさんからアドバイスをもらったのです。
「DFがちょっとしたミスをして落ち込むと、それだけで相手につけこまれる。ハッタリでもいいから自信を持つことが大事」
この言葉は三宅史織さんの心に響き、その後のプレースタイルに大きな影響を与えました。
ピッチでは堂々とプレーすることを心がけた結果、INAC神戸のレギュラーDFとして活躍を見せます。
日本代表の常連としても出場を続けていましたが、一番出たかった東京オリンピックでは、代表入りはしたものの試合に出場することはできず、再び悔しい思いをしたのでした。
「まだまだ力不足。これからも自分を磨き続ける」と三宅史織さんは語っています。
一見順調な選手人生のようですが、その裏にはさまざまな思いや悔しさがあり、それを糧に三宅史織さんは成長を続けているのでしょう。
まとめ
三宅史織さんの学歴や経歴について紹介しました。
サッカーに魅了された少女は2011年に創設された日本初のサッカー女子プロリーグで活躍する、プロサッカー選手に成長しました。
日本代表に召集されるも「出番なし」が続くつらい時期もありましたが、持ち前の負けん気でピンチを乗り越え、2022年シーズンからはINAC神戸のキャプテンとしてチームをまとめています。
「WEリーグを世界で一番面白いリーグにしたい。そのためにはリーグ戦だけでなく日本代表としても面白い試合をしないといけない」と三宅史織さんは語っています。
これからも私たちを楽しませるサッカーを見せてくれることでしょう。
三宅史織のプロフィール
氏名 | 三宅 史織(みやけ しおり) |
生年月日 | 1995年10月13日 |
出身地 | 北海道札幌市清田区 |
身長 | 165cm |
血液型 | A型 |