サッカー(男子)MFの田中 碧さんは、小学3年生から2021年6月まで川崎フロンターレ一筋でチームを牽引し、日本代表となった選手です。
そして、2022年ワールドカップの男子サッカー日本代表に選出されました。
そんな田中 碧さんは、どんな経歴でどこの出身なんでしょうか。
田中 碧さんの学歴・出身校
田中 碧さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。
田中 碧さんのプロフィール
氏名 | 田中 碧(たなか あお) |
生年月日 | 1998年9月10日 |
出身地 | 神奈川県 |
身長 | 177cm |
体重 | 69kg |
血液型 | B型 |
田中 碧さんの学歴・出身校
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— フォルトゥナ ・デュッセルドルフ (@F95_jp) June 27, 2021
田中 碧さんは、高校を卒業後すぐにプロサッカー選手になっていました。
卒業した高校は、神奈川県立新城高校です。
神奈川県立新城高校は、神奈川県川崎市にある公立の男女共学校です。
サッカー部には所属せず、川崎フロンターレユースに所属していました。
そのためサッカー推薦ではなく、一般生と同じように受験して入学しています。
偏差値は59とまずまず高いので、サッカーだけでなく勉強も真面目に取り組んでいたことがわかりますね。
中学は川崎市立有馬中学校を卒業しました。
川崎市立有馬中学校は、神奈川県川崎市にある公立の中学校です。
卒業生にはタレントのベッキーさんや、プロ野球選手の雄平さんがいます。
また、2つ上には川崎フロンターレの下部組織から共にプレーし、東京五輪代表の三笘 薫さんも卒業されていました。
小学校は、川崎市立鷺沼小学校でした。
川崎市立鷺沼小学校は、神奈川県川崎市にある公立の小学校です。
小学3年生で、川崎フロンターレの一員となっています。
田中 碧さんの子供時代とご家族情報
田中 碧さんは、神奈川県川崎市鷺沼で生まれ育っています。
幼少期からずっとサッカーをしている活発な少年でした。
田中 碧さんは一人っ子と川崎フロンターレの公式から情報がありますので、家族構成は父親、母親との3人家族となります。
父親、母親の情報は公開されていませんが、田中 碧さんの尊敬する人は父親と母親と答えているので、かなり愛情を注がれていたことが推測できます。
田中 碧さんの経歴
田中 碧さんは幼少期から地元・川崎でサッカーを極めて活躍し、日本代表に選ばれました。
そんな田中 碧さんですが、どのような経緯でサッカーと出会い、どのような実績があるのでしょうか。
サッカーとの出会い
本日、9月10日は田中碧選手の誕生日です。Happy Birthday! アオ!! 【広報】 #frontale pic.twitter.com/D41rmRoBmb
— 川崎フロンターレ (@frontale_staff) September 9, 2020
サッカーとの出会いは横浜の幼稚園に通っていた時、色々なスポーツを体験し、気付けばひとりで壁にサッカーボールを当てて遊んでいたのが始まりです。
小学校に上がると自然にサッカークラブに入っていました。
経歴・エピソード
小学校で入った鷺沼サッカークラブは地域では有名な強豪クラブで、同級生も上手く、小学1年生で既にポジション毎の役割がわかる子が多いクラブでした。
田中 碧さんは鷺沼サッカークラブに通いながら、東京ヴェルディのスクールにも週2回通うほど熱心に取り組んでいました。
その当時の東京ヴェルディは、なでしこジャパンの澤穂希さんなどが指導してくれていて、サッカークラブ以上にレベルが高く圧倒され、ジュニアチームに入団するのは断念します。
小学3年生になり、鷺沼サッカークラブのコーチに川崎フロンターレアカデミーのセレクションを勧められ、なんとなく受けたら合格し、そのまま入団することになります。
しかしこの時は、川崎フロンターレの存在を知らずに入団したとインタビューで話していました。
当時アカデミーの指導者をしていた髙﨑康嗣さんは、サッカーだけでなく、私生活の面に関してもかなり厳しく、小学5年生まではあまりやる気になれなかったそうで、両親が何度かやめさせる連絡をしたほどです。
ただ、試合だけはいつも勝っていて、次第に勝ちの喜びを感じるようになり気持ちを新たに取り組むようになります。
そして、田中 碧さんが最上級生の時には世界5位になるほどだったが、成績に納得がいかず悔し泣きをしたのと同時に、世界とも渡り合える自信にもつながりました。
中学生になっても、そのままフロンターレのアカデミーでサッカーを続けるが、友達と遊ぶことが楽しい時期ということもあり、サッカーを優先しつつも熱中するまでではなかったそうです。
その気持ちに変化が訪れたのは、中学3年生でU-18の練習に参加したことからでした。
今まではほとんど同級生としかプレーをしてこなかったが、上級生の技術に衝撃を受け、危機感と同時に悔しさが込み上げ、このままではいけないと再度気持ちを入れ替えました。
それからは毎日休むことなくボールを蹴り続け、高校1年生で唯一のU-18のベンチメンバーとなり、その数ヶ月後にはレギュラーにまで上り詰めます。
この時すでに、プロになって感じている緊張感と同等のものを味わっており、この経験が今も活きていると話しています。
夏にはU-16日本代表に選ばれそこで活躍しますが、フィジカルの弱さに気付きすぐにトレーニングに取り入れたことで、急激に成長することができました。
高校3年生になると、フロンターレU-18のキャプテンにも任命され、チームを牽引する力も身につけて高校卒業後、トップチーム昇格を果たし、プロへの第一歩を踏み出すことができました。
レベルの高さと怪我もあり、初めの1〜2年間は試合に出れないことを想定し、徹底して自分に足りていないところを分析して、焦らず課題に向き合ってチームの練習にも精一杯ついて行きます。
そして2018年9月15日、初出場を果たし、そこで見事初ゴールも決め、フロンターレの新たなスターが誕生しました。
2019年からは、U-23日本代表の主力となり、ついにはA代表にも選出されるほどの選手に成長します。
そして2021年東京五輪の代表にも選出される注目選手となることができました。
同年6月には、約14年在籍した川崎フロンターレを退団し、ドイツ・ブンデスリーガのデュッセルドルフに移籍することになり、念願の海外クラブに挑戦することになりました。
主な戦績
田中 碧さんは、小学4年生から川崎フロンターレに入団し、一筋で日本代表になるまで成長してきました。
その主な戦績は以下の通りです。
- 2014年 国民体育大会 少年男子 優勝(神奈川県代表)
- 2019年 トゥーロン国際大会 2位、ベストイレブン、優秀選手3位(U-22日本代表)
- 2019年 Jリーグ ベストヤングプレーヤー賞
- 2020年 Jリーグ ベストイレブン
田中 碧さんのポジションは、ボランチといって司令塔のような役割のため、あまり多く得点を取れないためタイトルだけで見れば多くありませんが、非常に貢献度の高さを評価されています。
まとめ
今回は、サッカー(男子)MFの田中 碧さんについてご紹介しました。
初めは存在すら知らなかった川崎フロンターレに入団したことで、気付かぬうちにサッカー人生の大半を過ごしています。
トップチーム選手のプレーから刺激や危機感を感じたことで、サッカーへの取り組みを改め、トップ選手の仲間入りを果たしました。
そして念願叶って東京五輪の代表になり、海外のクラブでプレーできるまでになりました。
2021年7月現在、まだ22歳なので、これからのサムライブルーの正司令塔として長く引っ張っていく存在になるでしょう。