サッカー(男子)DFの板倉 滉さんは、2018年に頭角を現し、2019年にはヨーロッパの強豪クラブ、マンチェスター・シティへの移籍を叶えた選手です。そして、2022年ワールドカップの男子サッカー日本代表に選出されました。
そんな板倉 滉さんは、どんな経歴でどこの出身なんでしょうか。
板倉 滉さんの学歴・出身校
板倉 滉さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。
板倉 滉さんのプロフィール
氏名 | 板倉 滉(いたくら こう) |
生年月日 | 1997年1月27日 |
出身地 | 神奈川県 |
身長 | 187cm |
体重 | 75kg |
血液型 | A型 |
板倉 滉さんの学歴・出身校
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高校は神奈川県立川崎北高等学校を卒業しています。
神奈川県立川崎北高等学校は神奈川県川崎市にある公立の高校です。
公立なので、川崎フロンターレの下部組織でプレーしながら学業もしっかり勤(いそ)しんでいました。
卒業生には、タレントの風間トオルさんや元プロ野球選手の河原純一さんなどがいます。
中学は横浜市立すすき野中学校を卒業しました。
横浜市立すすき野中学校は神奈川県横浜市青葉区にある公立の中学校です。
部活には入らず、高校と同じく川崎フロンターレの下部組織でプレーしていましたが、意外にもあまり試合では結果が出せない時期でもありました。
小学校は横浜市立荏子田(えこだ)小学校です。
横浜市立荏子田小学校は神奈川県横浜市青葉区にある公立の小学校です。
川崎フロンターレには小学4年生でセレクションに合格し、入団しました。
板倉 滉さんの子供時代とご家族情報
You are my hero!
18年間お疲れ様でした!#中村憲剛
#14#frontale#憲剛さんありがとう pic.twitter.com/VBahL5u1Up— 板倉滉 (@kougogo1270) January 1, 2021
幼少期から活発に外で友達と遊ぶのが好きな少年でした。
小学生になるまでは、サッカーではなく父親の影響もあって野球に熱中していました。
家族構成は、父親、母親、妹の4人家族です。
家族についての情報はほとんど公開されていませんでしたが、父親が野球をしていたのが幼少期にサッカーをしていなかった理由でもあります。
川崎フロンターレのプロフィールで家族について、仲がいいと答えており、尊敬する人に両親と挙げているので、しっかり愛情を注がれて育ったのですね。
また、大きな身体に育ててくれてありがとうと感謝の言葉を述べています。
父親、母親も子供が素晴らしいプロサッカー選手になってくれて、本当に喜んでいることでしょう。
板倉 滉さんの経歴
板倉 滉さんは小学生から約10年間川崎フロンターレに所属し、実力をつけてきた選手です。
そんな板倉 滉さんですが、どのような経緯でサッカーと出会い、どのような実績があるのでしょうか。
サッカーとの出会い
サッカーを始めたきっかけは小学1年生の時、いきなりサッカーを始めたくなりました。
それまで熱中していた野球を辞めて、この頃父親の仕事で神戸市に住んでおり、西宮市にある強豪クラブ、「高木SC」に入団します。
その後、すぐに地元に戻り、同じ東京五輪サッカー代表の三笘 薫さんや田中 碧さんなどを輩出する「さぎぬまSC」に入り、メキメキと成長していきます。
この頃に川崎フロンターレの存在を知り、将来はこのチームでプレーすると夢見るようになりました。
経歴・エピソード
小学4年生になり、川崎フロンターレジュニア1期生のセレクションがあることを知り、すぐに受けることを決め、無事合格し入団します。
そこで当時監督をしていた髙﨑さんにサッカーのことだけでなく、私生活に関しても厳しく指導され、毎日泣きながら練習に取り組んでいました。
サッカーへの取り組み方や、足元の土台を作るなどの指導が、今の自分に活かされていると本人は話しています。
大きなきっかけになったのは入団してすぐ、色々なポジションをすることになり、髙﨑さんからCBというデフェンスのポジションをするよう指示されました。
当時は自分が1番上手くて、点を取るFWしかやりたくないと思っていたが、全く違うポジションを言われたことで、それが泣くほど悔しかったのです。
それでも与えられたポジションでがむしゃらに努力し、小学6年生で世界一を決めるダノンネーションズカップに出場したことが自信になり、CBでプロになって海外でもプレーしたいと強く思うようになりました。
しかし、中学に上がり周りより身体の成長が遅く、次第に試合に出れなくなっていきサッカーへの情熱が薄れ、辞めたいとチームに打診するほどでした。
ただ、その次の日には気づけば練習に参加していて、心の奥底ではプロになりたい思いがあるんだと自分の本心に気づくことができ、サッカーは辞めずに済みました。
練習には必しに取り組んでいましたが、身体の成長は追いつかず中学では最後までほとんど試合に出れず、ユースチームには上がれないと思っていましたが、チームは伸びしろに期待し、昇格させてくれたことを本人はかなり感謝しています。
高校生になると急激に成長し、あっという間に周りの選手より大きくなり1年生でU-18の主力となり、チームの期待通り活躍することになります。
そして高校卒業と同時にトップチームに昇格が決まり、夢の一つであったプロサッカー選手になることを叶えました。
トップチームではすぐ試合に出られたわけではなく、1年目は実力の差を痛感し日々練習に励み、2年目で初出場し、そこから少しずつ出場機会を得ていきます。
3年目にはU-20の日本代表にも選出されるほど成長しましたが、怪我もあり川崎フロンターレではレギュラーを取り切れない状態が続きました。
転機は4年目の2018年、ベガルタ仙台に期限付きで移籍をすると才能が開花し、自己最多24試合に出場し、主力として活躍しました。
この活躍を買われ2019年、ヨーロッパプレミアリーグの強豪、マンチェスター・シティが獲得を発表し、海外でプレーするというもう一つの夢も叶えます。
しかし、A代表歴がなくイングランドでの労働許可が下りず、すぐにオランダのFCフローニンゲンへ期限付きで移籍することになります。
そこで活躍し、節間ベストイレブンや2021年にはクラブ最優秀選手に選ばれるほどの選手へさらに成長しました。
その間に日本A代表にも選ばれるようになり、東京五輪代表の内定も決めることができました。
主な戦績
板倉 滉さんのサッカー人生は決して順風満帆ではありませんでしたが、諦めずに努力した結果、ヨーロッパのクラブや日本代表として活躍してきました。
その主な戦績はこちらです。
- 2016年 AFC U-19選手権 優勝
- 2017年 FIFA U-20ワールドカップ 出場
- 2018年 TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD 受賞
- 2019年 コパ・アメリカ2019 出場(A代表)
この戦績や今までのプレーから、2021年東京五輪代表に選出されました。
得点に直接絡むことが少ないCBというポジションですが、ゴール前最後の砦として君臨しています。
まとめ
今回は、サッカー(男子)DFの板倉 滉さんについてご紹介しました。
サッカーを始めてからずっとプロになることを夢見て、ここまで壁にぶち当たりながらも飛び越えてここまでの選手になることができました。
本人は自分の努力もあったが、恩師の髙﨑さんや、これだけ大きな身体に産んでくれた父親、母親に感謝する気持ちをずっと持ち続けてプレーしています。
2021年現在は期限付きで他クラブに移籍していますが、いずれ世界最高峰のクラブ、マンチェスター・シティのデフェンダーとして世界的スター選手になってくれることでしょう。
今後の活躍に期待しましょう。