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栗山英樹の学歴や経歴を紹介!出身高校や大学情報(WBC2023監督)

侍ジャパンの監督として、チームを世界一に導き、名監督として話題の栗山英樹さん。

WBCで活躍した大谷翔平さんをはじめ、多くのプロ野球選手を育てたことでも知られています。

そんな栗山英樹さんはどのような少年時代を送ってきたのでしょうか。

栗山英樹さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。


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栗山英樹の学歴・出身校

自然豊かな北海道栗山町に自宅をかまえ、自前の軽トラックに長靴、ジャージー姿で町役場を訪れ、WBC優勝報告をした栗山英樹さん。

栗山英樹さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。

栗山英樹さんの嫁についてはこちら>>>

出身大学情報

栗山英樹さんは、東京学芸大学を卒業しています。

1949年に東京都内の4つの師範学校を統合して設立された国立大学で、現在は教育大学のみを有する単科大学です。

「高い知識と教養を備えた創造力・実践力に富む教育者」を養成することを目的とし、多くの附属学校を持っています。

卒業生は教育現場だけでなく、政財界や、文学者、スポーツ界や芸能界などで幅広く活躍していることで知られています。

北京オリンピックの女子バレーボール代表選手の狩野美雪さん、お笑い芸人「カラテカ」の矢部太郎さん、タレントの優木まおみさんもこの大学の出身です。

学校名 東京学芸大学
学科・コース 教育学部 A類保健体育学科(現:生涯スポーツ専攻)
偏差値 47.5~62.5
所在地 〒184-8501 東京都小金井市貫井北町4-1-1
最寄り駅 武蔵小金井駅・・JR(中央本線)より京王バス乗車
国分寺駅・・JR(中央本線)、西武鉄道(多摩湖線)
小平駅・・西武鉄道(新宿線、拝島線) の各駅よりバス乗車
学芸大正門バス停・・京王バス
学芸小前バス停・・京王バス
学芸大学バス停・・銀河鉄道バス
公式サイトHP https://www.u-gakugei.ac.jp/
著名な卒業生 狩野美雪(バレーボール選手)・矢部太郎(芸人)・優木まおみ(タレント)

栗山英樹さんの大学時代

栗山英樹さんは教員免許取得を目指してこの大学に入学しました。

教育学部には複数のコースが設置されており、栗山英樹さんはA類保健体育学科(現:生涯スポーツ専攻)の出身です。

プロ野球界に入る気持ちはありませんでしたが、高校時代からの経験を生かして硬式野球部に入部しました。

当初のポジションは投手で、1年、2年の時には東京新大学野球リーグで優勝に貢献しています。

その後は右ヒジの故障のため野手に転向しましたが、野球と学業を両立させて小・中・高校の体育教師の免許を見事に取得しており、真面目な人柄がうかがえますね。

出身高校情報

栗山英樹さんの出身高校は、私立創価高等学です。

学校法人創価学園が運営している中高一貫の共学校で、1968年に設立されました。

ディベート教育に力を入れており、「ディベート甲子園」と呼ばれる全国中学・高校ディベート選手権ではこれまでに11回の入賞者を出しています。

野球部とサッカー部が強いことでも知られ、どちらも全国大会出場経験が豊富です。

北海道日本ハムファイターズ所属で栗山英樹さんの指導を受けた田中正義さん、ナイツの土屋伸之さん、女優の石原さとみさんもこの学校の卒業生です。

学校名 私立創価高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 70
所在地 〒187-0024 東京都小平市たかの台2-1
最寄り駅 鷹の台駅・・JR(中央線)、西武鉄道(拝島線)
新小平駅・・西武鉄道(新宿線)
創価学園前バス停・・西武バス(寺71、72系統)
公式サイトHP https://tokyo-senior.soka.ed.jp/
著名な卒業生 田中正義(プロ野球選手)・石原さとみ(女優)・土屋伸之(漫才師)

栗山英樹さんの高校時代

栗山英樹さんは、中学時代に所属していた地元のポニーリーグで大会MVPを受賞した実績を買われ、硬式野球部からのスカウトを受けてこの高校に入学しました。

入学のきっかけとなった「甲子園に行こう」を目標に、1年生の時からベンチ入りを果たします。

3年生の時にはエースで主将というチームの中心的な存在になりましたが、残念ながら甲子園の土を踏むことはできませんでした。

野球部を引退後、栗山英樹さんは目標を見失っていましたが、父親から「野球の指導者を目指してはどうか」とすすめられ、大学に進学して教員を目指すことを決めたのです。

出身中学校情報

栗山英樹さんの出身中学校は、小平市立小平第二中学校です。

東京都北部に位置し、近くには多摩湖や埼玉県の西武園ゆうえんちがあります。

教育目標には「積極的に実践する人間」「相手の人格や立場を尊重する人間」があり、人格形成に力を入れていることでも知られています。

元バレーボール選手でタレントとして活躍中の大林素子さん、東京HIV訴訟の原告で、現在は参議院議員の川田龍平さんもこの学校の卒業生です。

学校名 小平市立小平第二中学校
所在地 〒187-0042 東京都小平市小川東町1-17-1
最寄り駅 小川駅・・西武鉄道(国分寺線、拝島線)
公式サイトHP https://www.kodaira.ed.jp/32kodaira/
著名な卒業生 大林素子(元バレーボール選手)・川田龍平(政治家)

栗山英樹さんの中学時代

中学時代の栗山英樹さんは野球部ではなく、バレーボール部に入部しています。

野球部に入部しなかった理由は、「野球に必要な足腰を鍛えるため」でした。

小柄だったことからバレーボール部ではセッターとして活躍し、フライングレシーブなどの技術を磨いたことが、のちに野球のダイビングキャッチに役立ったと語っています。

バレーボール部は2年で退部し、3年生からは中学生のための硬式野球リーグ(ポニーリーグ)チームの「小平ポニーズ」に入団して野球を再開しました。

小平ポニーズは「野球を通じて社会に役立つ未来の人材を育成する」を理念に掲げており、野球の技術だけでなく精神面も鍛えられることで知られています。

栗山英樹さんは投手としてポニーリーグの日米大会に出場し、大会MVPを獲得しました。

野球の指導者だけでなく、大学教員も務める栗山英樹さんにとって、中学時代の3年間はその後の人生を左右する大切な期間だったことがわかりますね。

出身小学校情報

栗山英樹さんの出身小学校は、小平市立小平十三小学校です。

近隣の人口増加に伴い、小平第六小学校の分校という形で1968年に開校しました。

出身の小平第二中学校から西に400mの位置にあり、北側には歴史の教科書にも掲載されている野火止用水があります。

短歌集『歌集 滑走路』の作者で歌人の萩原慎一郎さん、子ども食堂の支援で知られる社会活動家の湯浅誠さんもこの学校の卒業生です。

学校名 小平市立小平十三小学校
所在地 〒187-0035 東京都小平市小川西町1-22-1
最寄り駅 小川駅・・西武鉄道(国分寺線、拝島線)
公式サイトHP https://www.kodaira.ed.jp/13kodaira/
著名な卒業生 萩原慎一郎(歌人)・湯浅誠(社会活動家)

栗山英樹さんの小学校時代

小学生時代の栗山英樹さんは、兄が所属していた地元チーム「富士見スネークでプレーしていました。

このチームは父親が監督を務めており、厳しい指導をすることで知られていました。

しかし栗山英樹さんはそれに耐え、うまくなりたいと「野球ノート」を付けるようになったのです。

その日の練習メニューやちょっとしたメモをつけたり、気になったプレーを図にしたりという作業を、練習の後は欠かさず行っていたそうです。

野球のことを考えるのはグラウンドだけという小学生が多い中、栗山英樹さんはこの頃から頭脳派で、監督としての素質があったのかもしれませんね。

栗山英樹さんの嫁についてはこちら>>>


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栗山英樹さんの選手経歴

現役時代は俊足のスイッチヒッターで「相手にとって嫌な選手」として知られる一方、女性ファンが多く「天使というより魔法使い」という曲をリリースするなどアイドル的な人気を誇った栗山英樹さん。

栗山英樹さんが野球を始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。

選手になったきっかけ

栗山英樹さんは小学校1年生の時に、父が監督を務める少年野球チームに入団して野球を始めました。

父が監督、兄が先輩というチームの中で、栗山英樹さんは特に厳しい指導を受けたと言われています。

しかし栗山英樹さんはそれに耐え、小学校を卒業するころには「小平市に栗山という、すごく野球のうまいやつがいる」と評判になったのです。

野球の面白さに目覚めた栗山英樹さんは、中学校では野球を極めるためにあえてバレーボール部に入部するなど、一味違った切り口で野球に向き合っていきました。

中学3年生で日本代表としてアメリカに遠征したことがきっかけで創価高等学校から誘いを受け、甲子園を目指しましたが夢破れ、野球の指導者を目指して東京学芸大学に進学したのです。

経歴・エピソード

栗山英樹さんは大学でも投手として硬式野球部に所属していましたが右ヒジを故障し、内野手に転向しています。

教員を目指していたものの大学時代に野球への情熱が目覚め、社会人野球の朝日生命に加入することが内定していました。

しかしさらに上を目指したいと考えた栗山英樹さんは、「今しかできない」と考え、プロ野球チームの入団テストに挑戦することにしたのです。

当時は「ドラフト外入団」という、テストを受けて球団から連絡があれば入団できるシステムがあり、テストの結果ヤクルトスワローズのスカウトから連絡を受けて入団が決まったのです。

ルーキーイヤーから遊撃手として1軍の試合に出場しましたが、プロのあまりのレベルの高さに驚き、「辞めることしか考えていなかった」とのちに語っています。

2年目からはメニエール病に苦しめられながらも、自分の持ち味を生かしてスイッチヒッターに転向するなどの活躍を見せましたが、故障もあり7年間の現役生活に終止符を打ちました。

その後は野球解説者や大学教員として人気を博し、日本ハムファイターズの監督時代には大谷翔平さんに二刀流をすすめたことで話題になり、若い選手の心を動かす監督としてWBCの監督に抜擢されたのです。

「自分には恵まれた才能はない」と語る栗山英樹さんですが、指導者として多くの人の心を動かす力は、他の人には真似できない才能ではないかと思います。

まとめ

栗山英樹さんの学歴や経歴について紹介しました。

現役時代は軽い身のこなしで人気の選手となり、引退後はトーク力と優しい人柄で解説者や大学教員として人気を博しました。

常に選手の立場に立ち、試合では涙することも多い人情派の栗山英樹さんは、その人間力でWBC召集メンバーを見事にまとめ上げ、世界一に輝いたのです。

小学生の頃から欠かさずつけている「野球ノート」が時には自分を冷静にし、またある時にはアイデアの種になると語る栗山英樹さんですから、これからもさまざまな形で私たちを驚かせることを見せてくれるに違いありません。

3年後のWBCでも、栗山英樹さんの胴上げが見られることを期待したいですね。


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栗山英樹さん プロフィール

氏名 栗山 英樹(くりやま ひでき)
生年月日 1961年4月26日
出身地 東京都小平市
身長 176cm
血液型 A型

 


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