この記事では、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手の学歴や野球経歴についてご紹介します。
佐々木朗希選手は、令和の怪物とも呼ばれて、2023年のWBCにメンバー入りもしました。
そんな佐々木朗希さんの出身校を見ていきましょう。
佐々木朗希の学歴・出身校
荻野1000本安打の日
試合前のキャッチボール中#佐々木朗希 #プロ野球ai的選手の横顔大集合 pic.twitter.com/alCW0yvPCd— よっちゃん (@00yoshi26) January 6, 2023
佐々木朗希さんの出身校を大学から小学校に分けて見ていきましょう。
また、それぞれの学校の特徴と学生時代のエピソードについてもご紹介します。
出身大学情報
佐々木朗希さんは大学には進学していません。
高校卒業後に千葉ロッテマリーンズに入団しています。
佐々木朗希さんの運命を決めたドラフト会議
佐々木朗希さんは「12球団どこでも頑張りたい」と表明しており、とにかくプロ野球選手になりたいと思っていたようです。
そんな佐々木朗希さんの運命を決めた、2019年のドラフト会議。
パシフィック・リーグの「北海道日本ハムファイターズ」「千葉ロッテマリーンズ」「東北楽天イーグルス」「埼玉西武ライオンズ」の4球団が1位指名しました。
抽選の結果、千葉ロッテマリーンズが交渉権を獲得。
佐々木朗希さんは千葉ロッテマリーンズで夢だったプロ野球選手になりました。
出身高校情報
出身高校は岩手県立大船渡高等学校です。
1920年に岩手県気仙農学校として創設された公立高校で、1962年に現在の岩手県立大船渡高等学校に改称されました。
サッカー部や硬式野球部は県内で強豪校として有名です。
学校名 | 岩手県立大船渡高等学校 |
学科 | 普通科(全日制課程・定時制課程) |
偏差値 | 52 |
所在地 | 〒022-0004 岩手県大船渡市猪川町字長洞7-1 |
最寄り駅 | JR大船渡線・三陸鉄道リアス線「盛駅」 |
公式サイトHP | http://www2.iwate-ed.jp/ofu-h/ |
著名な卒業生 | 横道毅(俳優)・佐藤正則(気象予報士)・下屋敷恒太郎(サッカー選手) |
佐々木朗希さんの高校時代
佐々木朗希さんは中学時代から野球で注目されていましたが、地元の仲間と共に甲子園を目指してこの高校に入学しました。
全国的に有名な野球強豪校の大阪桐蔭高校や花巻東高校からの勧誘があったそうですが、すべて断ったそうですよ。
高校の野球部では投手としてすぐに頭角を現し、高校1年の夏から公式戦に登板。
高校2年の秋の大会では球速157kmという史上タイ記録を叩き出し、チームを16年ぶりのベスト4に導きました。
高校3年時にはU18の代表合宿に参加しており、球速163kmという高校生史上最速記録をマークします。
これは大谷翔平選手の160kmを上回る球速だったため、”令和の怪物”と呼ばれるようになりました。
また、打者としても活躍しており、高校3年の夏の県大会ではエース兼4番打者を務めています。
チームは決勝戦まで勝ち進みましたが、花巻東高等学校に敗れ、甲子園には出場できませんでした。
この決勝戦では故障予防のためという理由で、佐々木朗希さんは投手・打者とも出場を回避することに。
このことで大船渡高校には苦情が押し寄せ、メディアも取り上げるほどの社会問題になりました。
佐々木朗希さんはとてもシャイで、高校時代のエピソードはほとんどありません。
メディアの取材は学校側が断っていたそうです。
出身中学校情報
出身中学校は大船渡市立第一中学校です。
1961年に創立された公立中学校。
部活動がとても盛んな学校で、多くの部が県大会や東北大会、全国大会に出場。
文化部も各種コンクールで数多くの入賞を果たしています。
学校名 | 大船渡市立第一中学校 |
所在地 | 〒022-0006 岩手県大船渡市立根町宮田86 |
最寄り駅 | JR大船渡線・三陸鉄道リアス線「盛駅」 |
公式サイトHP | http://www.ofunato-school.jp/daiichi/ |
著名な卒業生 | 橋本英教(政治家)・横道毅(俳優)・中田洋介(サッカー選手) |
佐々木朗希さんの中学時代
中学時代は軟式野球部に所属していました。
軟式にもかかわらず、球速は最速141kmを記録していたとか。
投打ともに活躍していましたが、疲労骨折などの怪我にも苦しんでいました。
中学3年時の中総体への出場は断念せざるを得ませんでしたが、怪我から回復すると「オール気仙」のメンバーに選出されます。
佐々木朗希さんはエースとして大活躍し、チームは大会で優勝や準優勝などの好成績を収めました。
「第11回U15全国KWB野球秋季大会」では好投が認められ、優秀選手賞を受賞しています。
出身小学校情報
出身小学校は大船渡市立猪川小学校です。
明治6年に開校した歴史ある公立小学校。
子どもが生き生きと活動できる学校をスローガンに掲げています。
学校名 | 大船渡市立猪川小学校 |
所在地 | 〒022-0004 岩手県大船渡市猪川町轆轤石23 |
最寄り駅 | JR大船渡線・三陸鉄道リアス線「盛駅」 |
公式サイトHP | https://www.city.ofunato.iwate.jp/soshiki/ga-kyo/1812.html |
著名な卒業生 | 松本哲也(シンガーソングライター)・佐々木朗希(野球選手) |
佐々木朗希さんの小学校時代
佐々木朗希さんは実は陸前高田市の出身で、小学4年生までは陸前市立高田小学校に通っていました。
小学3年の時から地元の「高田野球スポーツ少年団」で野球を始めています。
しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、津波で町は被災。
佐々木朗希さんは祖父母と父親を津波で亡くしています。
実家も流されたため、大船渡市猪川町に転居しました。
小学校も大船渡市立猪川小学校に転校し、地元の軟式野球団「猪川野球クラブ」で野球を続けています。
小学6年の時には岩手三陸沿岸の少年野球チームの大会「リアスリーグ」が、ロッテの本拠地で開催されました。
佐々木朗希さんのチームはこの大会で決勝戦まで勝ち進んでいます。
父親を37歳という若さで亡すなど、震災によって佐々木朗希さんはとても辛い経験をしていました。
それでも野球に打ち込めたことで前を向けたのかもしれませんね。
佐々木朗希の選手経歴
こんばんは🌝
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佐々木朗希選手の画像です!
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佐々木朗希さんがプロ野球になったきっかけや経歴についてご紹介します。
プロ野球選手になったきっかけ
佐々木朗希さんには3歳上の兄がおり、「高田野球スポーツ少年団」で野球をしていました。
そんな兄の影響を受け、小学3年の時からこのチームで野球を始めています。
この頃は父親ともキャッチボールをしていたそうです。
特に投手として随一だった佐々木朗希さんは、中学時代には注目を集める存在になっていました。
おそらく中学時代にはプロ野球選手を志していたのではないでしょうか。
経歴・エピソード
佐々木朗希さんは2020年より千葉ロッテマリーンズに所属。
実戦デビューを期待されていましたが、ルーキーイヤーは一軍、二軍ともに登板の機会はありませんでした。
翌年の2021年3月12日に中日ドラゴンズとのオープン戦で実戦デビューし、4月2日の東京ヤクルトスワローズ戦で公式デビューも果たしています。
なかなか初勝利とはなりませんでしたが、5月27日の阪神タイガース戦でプロ初勝利を挙げました。
2021年のレギュラーシーズン全体では11試合に先発して3勝2敗、防御率は2.27を記録。
その年のロッテはクライマックスシリーズに進み、佐々木朗希さんはファーストステージの第1戦の先発に抜擢され好投しました。
2022年には初めての開幕ローテーション入りも果たしています。
4月10日のオリックスバッファローズ戦では、プロ野球新記録且つ世界記録となる13者連続三振を成し遂げ、史上16人目となる完全試合を達成しました。
佐々木朗希さんは20歳と5か月でこの偉業を達成しており、これは史上最年少記録です。
プロになってからの1年間は我慢の日々を過ごしていたと思いますが、並々ならぬ努力が結果を結んでいました。
これからもさらに飛躍することに違いありません。
まとめ
佐々木朗希さんの学歴や経歴についてご紹介しました。
佐々木朗希さんは大学には進学せずに千葉ロッテマリーンズでプロ野球選手になっています。
小学3年の時から兄の影響で始めた野球でみるみるうちに頭角を現しました。
東日本大震災で辛い経験もされていますが、その経験も糧にしていると思います。
2023年のWBCの活躍、今後のプロ野球選手としての活躍が楽しみですね。
佐々木朗希のプロフィール
佐々木朗希さんのプロフィールをご紹介します。
氏名 | 佐々木 朗希 (ささき ろうき) |
生年月日 | 2001年11月3日 |
出身地 | 岩手県陸前高田市 |
身長 | 192cm |
血液型 | O型 |