プロ野球パ・リーグの福岡ソフトバンクホークスに所属の甲斐拓也さん。
2017年から6年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、チームの投手陣から絶大な信頼を得ているプロ野球界を代表するキャッチャーです。
そんな甲斐拓也さんはどのような少年時代を送ってきたのでしょうか。
甲斐拓也さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。
甲斐拓也さん 学歴・出身校
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— 福岡ソフトバンクホークス(公式) (@HAWKS_official) April 16, 2021
強肩から繰り出される剛速球で牽制する姿から「甲斐キャノン」の異名を持つ甲斐拓也さん。
甲斐拓也さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。
出身大学情報
甲斐拓也さんは大学には進学していません。
高校を卒業後、2010年に育成6位指名で福岡ソフトバンクホークスに入団しました。
3年生で野球部を引退後、進学か就職するかを迷っていた甲斐拓也さんですが、才能を見抜いた当時の監督がソフトバンクのスカウトに連絡を入れ、プレーが評価されたことでプロ入りを決意したのです。
人生を左右する決断を後押ししてくれた恩師との出会いが、現在の甲斐拓也さんの活躍につながっているのですね。
出身高校情報
甲斐拓也さんの出身高校は、私立楊志館高等学校です。
1947年に設立された珠算塾が前身で、現在は商業科の他にも普通科、福祉科、工業科、調理科の5科8コースを持ち、さまざまな教育を受けられます。
「知・徳・体」のバランスを重んじた人間形成を軸とし、卒業生は地元企業をはじめ多くの分野で活躍中です。
かつてソフトバンクホークスに所属し、現在は大分プロ育成野球専門学院BEZELの監督を務める川口容資さん、元SKE48の小野晴香さんもこの学校の卒業生です。
学校名 | 私立楊志館高等学校 |
学科・コース | 不明 |
偏差値 | 45~52 |
所在地 | 〒870-0838 大分県大分市桜ヶ丘7番8号 |
最寄り駅 | 大分駅・・JR(日豊本線) |
公式サイトHP | 楊志館高等学校のサイト |
著名な卒業生 | 川口容資(元プロ野球選手)・小野晴香(元SKE48) |
甲斐拓也さんの高校時代
甲斐拓也さんは兄を追って、硬式野球部に入部しました。
3歳上の兄とは一緒にプレーすることはありませんでしたが、兄はエースとして夏の甲子園全国大会に出場し、ベスト8進出を果たしています。
当時のマネージャーで、甲斐拓也さんの2学年上だったマネージャーは、ドラマ化された小説『あっこと僕らが生きた夏』のモデルであり、メディアで大きく取り上げられました。
中学校までは内野手としてプレーしていた甲斐拓也さんですが、高校に入学後は捕手に転向しています。
甲斐拓也さん自身は、残念ながら甲子園出場はかないませんでしたが、パワーヒッターとして高校通算40本塁打を放ち、地元で注目されました。
出身中学校情報
甲斐拓也さんの出身中学校は、大分市立稙田(わさだ)東中学校です。
大分臨海工業地帯の発展に伴う人口増に対応するため、1975年に稙田中学校から分離して設立されました。
校舎の東側には陸上自衛隊大板駐屯地があり、住宅地と自然のバランスの良い立地です。
「知性・友愛・健康」を教育目標とし、特に挨拶や身だしなみ、清掃など当たり前のことをきちんとできる人になってほしいという願いが込められています。
元AKB48の中西里菜さんもこの中学校の出身です。
学校名 | 大分市立稙田東中学校 |
所在地 | 〒870-1123 大分県大分市大字寒田1369-1 |
最寄り駅 | 大分大学前駅・・JR(豊肥本線) 川久保バス停・・大分バス |
公式サイトHP | 稙田東中学校のサイト |
著名な卒業生 | 中西里菜(元:AKB48) |
甲斐拓也さんの中学時代
中学時代の甲斐拓也さんは、地元の野球チーム「大分リトルシニア」に所属していました。
当時のポジションはセカンドで、「送球が正確で速い」と評判になり、全国大会にも出場しています。
のちに読売ジャイアンツに入団した田中太一さんもチームメイトとして在籍しており、地元の有力チームであったことがうかがえますね。
出身小学校情報
甲斐拓也さんの出身小学校は非公表ですが、出身中学校の校区を見ると、以下のいずれかを卒業している可能性が高いです。
- 大分市立寒田小学校
- 大分市立敷戸小学校
- 大分市立鴛野(おしの)小学校
また、出身中学校の校区ではありませんが、小学生時代の所属チームが活動していた大分市立東稙田小学校の出身ではないかとも言われています。
いずれも大分市のほぼ中央にある小学校で、工業都市でありながら自然豊かな場所にあります。
今後、詳しい情報が出てくることに期待しましょう。
甲斐拓也さんの小学校時代
甲斐拓也さんは小学1年生の時に、兄が所属していたチーム「光新少年野球部」に入部しました。
地元では歴史のあるチームで、地元出身で横浜ベイスターズや阪神タイガースでプレーしていた竹下慎太郎さんが臨時コーチを務めるなど、多くの球児を育てています。
小柄ながら明るく元気な少年で、兄を追って一生懸命にプレーしていたとのことで、兄弟の仲の良さが伝わりますね。
甲斐拓也さんの選手経歴
ソフトバンク 2018
「KANSAI CLASSIC 2018」
南海ホークス復刻ユニフォーム(1984年〜1988年ビジター)#甲斐拓也#sbhawkspic.twitter.com/TngNYxnOoi— プロ野球 限定・復刻・サードユニフォームbot (@bot87630863) January 12, 2023
気持ちを大切にしたいという思いから、試合で守備につく前に「心」という文字を地面に書くルーティーンを持つ甲斐拓也さん。
甲斐拓也さんが野球を始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。
選手になったきっかけ
甲斐拓也さんは小学1年生の時に、「光新少年野球部」に入団して野球を始めました。
野球をしていた兄の影響を受けたのがきっかけですが、ピッチャーだった兄に対して甲斐拓也さんは「キャッチャーに興味があった」と語っています。
家では兄の投球を甲斐拓也さんが受けていたのかもしれませんね。
中学生になると強豪チーム「大分リトルシニア」に入団し、内野手として全国大会出場を果たしました。
この頃から本格的に野球をしたいという気持ちが高まり、甲子園出場を果たした兄が通っていた楊志館高等学校に進学を決めます。
残念ながら甲斐拓也さん自身の甲子園出場はかなわず、部活を引退後は進学か就職かで悩む日々を送りました。
プロ野球選手という選択肢は全く頭になかったのですが、当時の野球部監督は甲斐拓也さんの才能を見抜き、ソフトバンクホークスのスカウトに「甲斐を見てやってくれ」と連絡したことで人生の転機が訪れたのです。
経歴・エピソード
視察の結果、スカウトにスローイングや強肩を評価され、また、翌年からソフトバンクが若手育成を目的とした「三軍制度」の導入も決めていたことから、甲斐拓也さんは2010年のドラフト会議で育成6位に指名されます。
2011年からの3年間は三軍でじっくりと練習を積み、2013年のシーズンオフに晴れて支配下選手に登録されました。
甲斐拓也さんが1軍で注目されるようになったのは2017年で、5月2日に埼玉西武ライオンズ戦で放った逆転満塁ホームランでした。
これをきっかけにスタメン出場が増え、シーズンオフには育成出身捕手初のゴールデングラブ賞や、育成出身選手初のベストナインにも選ばれます。
2020年には正捕手として日本シリーズにフル出場し、念願の日本一を勝ち取りました。
ソフトバンクの選手として活躍するだけでなく、WBSCや東京オリンピックにも出場し、金メダル獲得に一役買っています。
正確で素早い牽制球は「甲斐キャノン」と呼ばれて話題になり、これを目当てに球場に足を運ぶファンも増えました。
投手からの信頼も厚く、穏やかで自然体な甲斐拓也さんのリードで、チーム内のコミュニケーションもうまくいっているのではないでしょうか。
まとめ
甲斐拓也さんの学歴や経歴について紹介しました。
兄の背中を追って野球を始めた少年は、周囲の支えや自身のたゆまぬ努力で、育成出身ながら球界ナンバーワンと言われる捕手として活躍中です。
「プロになるなんて夢にも思っていなかった」と語る甲斐拓也さん自身が、人の優しさや温かさを一番よく知り、それに応えようとした結果が現在につながっているのでしょう。
プロ野球選手としては小柄ですが、誰よりも早いモーションで送球することを心がけていることや、イニング前には「心」という文字を地面に書いて臨む点も、甲斐拓也さんの人柄を物語っています。
WBCでも「甲斐キャノン」を炸裂させ、世界中をうならせる活躍を見せてくれるのが楽しみですね。
甲斐拓也さん プロフィール
氏名 | 甲斐 拓也(かい たくや) |
生年月日 | 1992年11月5日 |
出身地 | 大分県大分市 |
身長 | 170cm |
血液型 | O型 |