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源田壮亮 高校のエピソードとプロ野球選手への道!出身大学も紹介

この記事では、埼玉西武ライオンズの源田壮亮さんの学歴や経歴についてご紹介します。

子どもの頃に始めた野球で、プロへの道のりにも触れています。

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源田壮亮さん 学歴・出身校

源田壮亮さんの出身学校を大学から小学校までご紹介します。

また、それぞれの学校の特徴と学生時代のエピソードについても調べてみました。

出身大学情報

出身大学は愛知学院大学です。

この大学は1953年に開校しました。

中部地区で有数のスケールを誇る総合大学です。

学校名 愛知学院大学
学部 文学部・心理学部・心身科学部・商学部・経営学部・経済学部・法学部・総合政策学部・薬学部・歯学部・教養部
偏差値 35.0~52.5
所在地 〒470-0131 愛知県日進市岩崎町阿良池12
※日進キャンパス
最寄り駅 東部丘陵線(リニア)「長久手古戦場駅」
公式サイトHP https://www.agu.ac.jp/
著名な卒業生 つぶやきシロー(お笑い芸人)・佐野岳(俳優)・知念慶(サッカー選手)

源田壮亮さんの大学時代

愛知学院大学は野球の強豪校です。

源田壮亮さんもこの大学の野球部に所属していました。

大学1年の秋からは遊撃手のレギュラーとして活躍。

大学4年の時にはキャプテンも務め、リーグ優勝を果たしています。

秋のリーグ戦はベスト4という成績でしたが、敢闘賞とベストナインを受賞しました。

出身高校情報

出身高校は大分県立大分商業高等学校です。

1917年に開校した歴史ある公立高校。

夏の甲子園には15回、センバツには5回の出場、野球の強豪校として有名です。

学校名 大分県立大分商業高等学校
学科 商学科・国際経済科・情報処理科
偏差値 52
所在地 〒870-0931 大分県大分市西浜4−2
最寄り駅 日高本線「牧駅」
公式サイトHP http://kou.oita-ed.jp/oitasyougyou/
著名な卒業生 植田美千代(アナウンサー)・笠谷俊介(プロ野球選手)・川瀬賢斗(プロ野球選手)

源田壮亮さんの高校時代

高校時代も野球部に所属しています。

源田壮亮さんが在籍していた時は甲子園には出場できませんでした。

高校3年の夏の大分大会では3番で遊撃手として出場し、1安打を打っています。

しかし、チームは準々決勝で大分県立日田林工高等学校に敗れてしまいました。

源田壮亮さんは高校卒業後の進路に迷い、その時にコーチから「野球を長くつづけるために強い大学リーグで戦った方がいい」とアドバイスを受けます。

そのアドバイスから愛知学院大学に進学を決めました。

出身中学校情報

出身中学校は大分市立明野中学校です。

1972年に開校した公立中学校。

この学校は多くのプロ野球選手やサッカー選手を輩出しています。

学校名 大分市立明野中学校
所在地 〒870-0163 大分県大分市明野南3丁目7−1
最寄り駅 日高本線「牧駅」
公式サイトHP https://oita-city.oita-ed.jp/tyu/akeno/
著名な卒業生 近藤悦子(柔道家)・宮﨑大輔(ハンドボール選手)・小幡竜平(プロ野球選手)

源田壮亮さんの中学時代

中学時代は地元の硬式野球チームの「明野ビッグボーイズ(現在の明野ボーイズ)」に入団しています。

このチームのOBはプロ野球やアマチュアの道へ進む方が多く、レベルの高いチームです。

源田壮亮さんはこの頃から硬式野球を始めました。

足は速い方だったそうですが、背が小さくてパワーもなかったとか。

その分人一倍努力をしていたのでしょうね。

出身小学校情報

出身小学校は大分市立明野西小学校です。

1971年に開校した公立小学校。

ハンドボール部は男女共に全国大会で優勝の経験がある強豪校です。

学校名 大分市立明野西小学校
所在地 〒870-0163 大分県大分市明野南2丁目6−1
最寄り駅 日高本線「牧駅」
公式サイトHP https://oita-city.oita-ed.jp/syou/akenonishi/
著名な卒業生 永井篤志(サッカー選手)・渡部仁(ハンドボール選手)・源田壮亮(プロ野球選手)

源田壮亮さんの小学校時代

源田壮亮さんは少年野球がやりたかったそうですが、地元にはソフトボールチームしかありませんでした。

ソフトボールは盛んな地域で、8チームくらいあったそうですよ。

小学2、3年の頃から地元のソフトボールチームに入っています。

源田壮亮さんの野球のルーツは意外にもソフトボールからだったのですね。

源田壮亮選手の嫁に関してはこちら>>>


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源田壮亮さんの選手経歴


源田壮亮さんが野球を始めたきっかけはなんだったのでしょう。

経歴についてご紹介します。

プロ野球選手になったきっかけ

源田壮亮さんの父親は野球好きでした。

2つ上の兄が地元のソフトボールチームに入ったことがきっかけになり、源田壮亮さんも一緒に始めることになったそうです。

中学生になると硬式野球を始め、高校は大分では野球強豪校の大分商業高等学校に進学しました。

高校時代にプロからも声がかかっていましたが、当時のコーチからアドバイスを受けて愛知学院大学へ進学。

大学時代はリーグ戦通算76試合出場、256打数73安打、打率.285、20安打という十分な成績を残します。

しかし、プロからは声がかからず、トヨタ自動車へ入社。

1年目から公式戦に出場し、都市対抗野球ではチームを初優勝へと導きました。

春のリーグ戦は好成績だったから、プロからの誘いを受けることに。

源田壮亮さんは2016年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズに3巡目で指名を受け、プロ野球選手になりました。

経歴・エピソード

2017年3月31日の開幕戦で、源田壮亮さんは9番・遊撃手としてスタメン起用されます。

西武の新人が開幕戦に遊撃手としてスタメン起用されたのは、1981年の石毛宏典さん以来で、なんと36年ぶりでした。

4月1日にプロ初安打、6月8日にはプロ初本塁打と早くも大活躍。

源田壮亮さんは公式戦全143試合へフルイニング出場しており、これはNPBにおける遊撃手としては史上初の快挙でした。

2017年は西武もポストシーズンに残り、CSファーストステージへも出場。

さらに、オフの11月に東京ドームで開催されたAPBCの日本代表にもメンバー入り。

その年の活躍が認められた源田壮亮さんは”パ・リーグ新人王”に選ばれました。

2018年も全143試合に出場、打率.278、4本塁打、57打点、34盗塁という成績で、一年目以上の活躍を見せます。

2019年も遊撃手として開幕から出場していましたが、4月13日のオリックス戦で右手首にデッドボールを受け負傷。

右手関節挫傷と診断され、スタメンから外れることになり、プロ1年目から続いていた連続フルイニング出場は299試合で止まってしまいました。

2019年は135試合に出場し、打率.274、2本塁打、41打点、30盗塁という成績を残しています。

また、この年にメジャー行きを決めた秋山翔吾選手から指名を受け、源田壮亮さんはキャプテンを務めることになりました。

2020年は開幕戦から打撃不振が続き、スタメンを外れることもありましたが、全120試合に出場し、打率.270、1本塁打、21打点、18盗塁という成績を残しています。

2021年、2022年も開幕戦からスタメン出場していましたが、怪我やコロナ陽性などのため離脱を余儀なくされました。

源田壮亮さんは打球を捕球してから投げるまでがこれほど速い選手は他にはいないと言われています。

その華麗なプレーは「源田たまらん」とファンを魅了。

今や日本のプロ野球界になくてはならない存在感です。


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源田壮亮さん プロフィール

源田壮亮さんのプロフィールをご紹介します。

氏名  源田 壮亮 (げんだ そうすけ)
生年月日  1993年2月16日
出身地  大分県大分市
身長  179cm
血液型  O型

まとめ

源田壮亮さんの学歴や経歴についてご紹介しました。

出身大学は野球の強豪校の愛知学院大学でした。

高校も野球の強豪校の大分商業高等学校です。

源田壮亮さんは社会人野球からプロ野球選手になっていました。

きっと人一倍努力を積み重ねてきたことでしょう。

プロ野球界に入ってからの活躍は目覚ましいものがあります。

2023年のWBCでの活躍、また今後のプロ野球選手としての活躍も楽しみですね。

WBC2023出場選手一覧はこちら>>>


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