この記事では、トップモデルである冨永愛さんの高校などの学歴や経歴を紹介します。
冨永愛さんは、どこの学校出身でどのような学歴をお持ちなんでしょう。
また、モデルになったきっかけにも迫ります。
冨永愛は高校生でモデル!きっかけは?
VOGUEの連載に載ってた高校時代の冨永愛すごい。…足!! pic.twitter.com/arWDsb6seF
— belle🦉🧶 (@pKYhfNVR) April 2, 2018
冨永愛さんがモデルへの扉を開いたのは、実は姉の存在が大きいんです。
小学校・中学時代に身長が高すぎていじめにあい、それを見かねた姉が、プチセブンの専属モデルに応募してくれたんです。
当然ながら見事合格。
そしてモデルとしての活動をはじめていたんですね。
そして、冨永愛さんが橋本高校の2年生の時の制服姿を写真に収めました。
スカートを短くして、ルーズソックスをはいて、高校生徒は思えないスタイル。
それがVOGUE(ヴォーグ)誌に載ったことにより、業界のそれも海外のモデル事務所の目に留まったのです。
高校生ながら、一躍有名になり、高校3年生ではニューヨークコレクション、パリコレにも出演することに。
たった一枚の写真が冨永愛さんの人生を変えたんですね。
高校生の時には、ファッション通信を必ずチェックして、一流のファッションモデルの世界にあこがれていました。
冨永愛 学歴・出身校
冨永愛さんは高校卒業して進学せずに、モデル業に専念しているので、大学には行っていません。
冨永愛さんの出身校とそれぞれの特徴を高校から小学校の順にご紹介します。
また、学生時代のエピソードも併せてみていきます。
出身高校
冨永愛さんが卒業した高校は、神奈川県立橋本高校です。
この高校は1978年開校の共学校です。
俵万智さんが国語教師として勤務したことで有名なこの高校。
冨永さんの出身校であることは、インターネットやツイッターなどから多くの情報を得ることができます。
この高校では当時、蒼井そらさんも1学年下に在籍していました。
学校名 | 神奈川県立橋本高校 |
偏差値 | 52 |
所在地 | 〒252-0143 神奈川県相模原市緑区橋本8丁目8−1 |
最寄り駅 | 橋本駅(JR横浜線) |
公式サイトHP | https://www.pen-kanagawa.ed.jp/hashimoto-h/ |
著名な卒業生 | 蒼井そら(元AV女優) |
冨永愛さんの高校時代
先にも少しふれましたが、冨永愛さんは中学時代にに受けたいじめの影響で、母親に反抗していた時期です。
その為高校時代は学校をさぼり、夜遊びをするなど、不良状態になっていました。
あるときは母親に家の鍵をかけられ、締め出し状態に。
仕方なく、家でをして、友人宅を泊まり歩く生活もしていました。
そんな状態でも、モデルの仕事は楽しかったようです。
また高校生活も体育祭で応援団をやるなど、楽しい思い出は作れました。
出身中学校
冨永愛さんが通った中学校は、相模原市立旭中学校です。
この中学は運動部や文化部など多くの部活動に力を入れています。
吹奏楽部は、コンクールだけでなく、地域のイベントにも積極的に参加するなど、地域とのつながりを大切にしている学校です。
学校名 | 相模原市立旭中学校 |
所在地 | 〒252-0143 神奈川県相模原市緑区橋本1丁目12−15 |
最寄り駅 | 橋本駅(JR横浜線) |
公式サイトHP | http://www.sagamihara-asahi-j.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 篠山竜青(バスケットボール選手)・柿澤仁誠(役者、モデル) |
冨永愛さんの中学時代
子供の頃から背が高く、中学2年では175㎝もある身長で、中学時代には「宇宙人」と呼ばれてイジメられるました。
本人も身長が高いことがコンプレックスであった冨永愛さん。
友達はおらず、14歳の時に身長が伸びないようにと色々やったこともありました。
靴の中に画鋲を入れられるなど、ほんとにひどいイジメを受けていたんです。
冨永さんは幼少期に両親が離婚したことから、母子家庭で貧しい生活をしていました。
しかし、中学2年生の時には母親からの冷たい態度に耐えきれず、精神的にも限界に達して自ら命を断とうとしていたことがありました。
そんな愛さんを姉が見て、中学3年生の時に「プチセブン」の専属モデルの募集に応募して愛さんを合格させたのです。
出身小学校
冨永愛さんの通った小学校は、相模原市立橋本小学校です。
この小学校は、冨永愛さんが通った相模原市立旭中学校に隣接している小学校です。
ただし、冨永愛さんは小学校を何度も転校していますので、この小学校はあくまで卒業した小学校ということになります。
学校名 | 相模原市立橋本小学校 |
所在地 | 〒252-0143 神奈川県相模原市緑区橋本1丁目12−20 |
最寄り駅 | 橋本駅(JR横浜線) |
公式サイトHP | http://www.sagamihara-hashimoto-e.ed.jp/index.html |
著名な卒業生 | 小堀倭加(競泳自由形選手) ・柿澤仁誠(役者、モデル) |
冨永愛さんの小学校時代
冨永愛さんには姉と妹がいます。
また、愛さんが小さい時に母親が離婚したために、父親はいません。
しかも、姉の父親も妹の父親も愛さんの父親とは別で、大変複雑な家庭環境で育ちました。
小学校も何度も転校していたそうで、友達もできない寂しい小学生時代でした。
冨永さんの母親は、ネグレクト状態でほとんど家にいなかったため、仕事など何をしているかさえ知らないまま育ちました。
時折帰ってくるときは、酔っぱらった状態だったそうです。
子供3人を母親1人で育てたようですので、飲み屋などで働ていいたのかと想像できますね。
小学校4年生の頃に学校でイジメられたときにも、母親から関心を示されなかったことから、冨永さんの母親への憎悪は日々増していきました。
結果、現在も母親とは絶縁状態が続いているそうです。
冨永愛の経歴
- 1997年、15歳のときにプチセブンの専属モデルに応募して合格。
- これをきっかけに、2000年18歳でニューヨークコレクションに出演。
- 2001年19歳で海外のファッションモデルとして仕事を開始した。
- 2004年22歳の時に映画「デビルマン」で女優デビュー。
- パリ在住の日本人パティシエと結婚し男児が誕生(2009年に離婚)。
- 2021年、39歳の年には、テレビドラマ「ドクターX」に出演。
冨永愛さんは高校卒業後、海外でファッションモデルとしてキャリアをスタートさせました。
日本人とは異なる高身長と線の美しいプロポーション、そしてエキゾティックな容姿により、海外のデザイナーから多くの注目を集め、短期間で世界的なファッションモデルとなりました。
冨永さんは国内外から知名度が高まっているおかげで、2001年から、「ラルフローレン」のモデルとしてランウェイに。
数々のランウェイに引っ張りだこで出演し、今や日本国内では名前を知らないものはいないほどの著名デザイナーとなりました。
冨永愛 プロフィール
氏名 | 冨永愛(とみなが あい) |
本名 | 冨永愛(とみなが あい) |
生年月日 | 1982年8月1日生 |
出身地 | 神奈川県相模原市 |
身長 | 179㎝ |
血液型 | B型 |
所属事務所 | UNDER GROUND(東京)、Marilyn(ニューヨーク/パリ)、Why Not(ミラノ)、Storm(ロンドン) |
活動時期 | 1997年~ |
モデルデビュー | 雑誌「プチセブン」 |
まとめ
小学校、中学校といじめを受けていた冨永愛さん。
お姉さんのおかげで、中学時代からモデルをすることで何とか自分を保ってきたのでしょう。
しかし、そのモデルで世界に注目される存在にまでなりました。
あきらめないで続ければ、願いはかなうんですね。
これからもモデル、女優としての活躍を応援したいです。