吉本興業大阪本社に所属のお笑い芸人の紅しょうが。
熊元プロレスさんにいつもクールに突っ込む稲田美紀さん。
今回は紅しょうがの稲田美紀さんの学歴や出身校を調査し、熊元プロレスさんとの出会いや活動経歴についても紹介します。
また、熊元プロレスさんの学歴や経歴にも触れています。
稲田美紀の学歴・経歴
チャームポイントの泣きぼくろについて「これはダミーで、実は2010年から描き続けている」とカミングアウトした稲田美紀さん。
稲田美紀さんはどのような学歴や経歴を持っているのか、見ていきましょう。
稲田美紀の学歴
稲田美紀さんの出身校や学生時代のエピソードを、大学から小学校の順に紹介します。
出身大学
稲田美紀さんの出身大学は、関西外国語大学 国際言語学部(現:英語国際学部)です。
1945年に開校した英語学校が前身で、1953年に短期大学、1966年に4年制大学が開設されました。
「関西外大(かんさいがいだい)」の愛称で親しまれ、海外の大学と積極的に提携していることから「実践的な語学を学べる」として人気上昇中の大学です。
格闘家の角田信朗さん、ますだおかだの増田英彦さん、ものまねタレントの沙羅さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 関西外国語大学 |
学科・コース | 国際言語学部(現:英語国際学部) |
偏差値 | 42.5~60.0 |
所在地 | 〒573-1001 大阪府枚方市中宮東之町16-1 ※中宮キャンパス |
最寄り駅 | 枚方市駅・・京阪電鉄(京阪本線、交野線) 御殿山駅・・京阪電鉄(京阪本線) 関西外大キャンパスバス停・・京阪バス(北3番、北4番) ※中宮キャンパス |
公式サイトHP | https://www.kansaigaidai.ac.jp/ |
著名な卒業生 | 角田信朗(格闘家)・増田英彦(ますだおかだ)・沙羅(ものまねタレント) |
稲田美紀の大学時代
稲田美紀さんは大学入学後、「学友会」という組織に入会しました。
学友会は学内の生徒会にあたる組織で、大きな影響力を持つ学生が集まっており、参加するには厳しい面接を受ける必要がありました。
稲田美紀さんは面接をクリアしてメンバーとなりましたが、入会後に「誰かと交際する際にはそれをメンバー全員に報告しないといけない」など、独特のルールがあることに驚いたといいます。
そんな環境の中で稲田美紀さんは「人に合わせるのが苦手だ」と気づき、就職は向いていないだろうと考えるようになりました。
さまざまな経験を経て、現在の芸人という進路を考えるようになったようですね。
出身高校
稲田美紀さんの出身高校は、大阪府立泉北高等学校です。
1969年の創立時は普通科高校でしたが、グローバルな教育を行うことを目指して2005年に国際文化科と総合科学科の2つに分けられました。
稲田美紀さんの所属学科は明らかになっていませんが、外国語大学に進学していることから国際文化科の可能性が高いです。
2006~2022年度までは文部科学省より「スーパーサイエンスハイスクール」に指定されるなど、地元ではハイレベルの高校として知られています。
吉本興業ホールディングスの会長を務める大崎洋さん、俳優の古館寛治さん、プロレスラーの正田壮治さんも、この学校の卒業生です。
学校名 | 大阪府立泉北高等学校 |
学科・コース | 非公表 |
偏差値 | 62 |
所在地 | 〒590-0116 大阪府堺市南区若松台3丁2-2 |
最寄り駅 | 泉ヶ丘駅・・泉北高速鉄道(本線) 栂・美木多駅・・泉北高速鉄道(本線) 若竹大橋バス停・・南海バス(12系統) |
公式サイトHP | https://semboku-h.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 大崎洋(吉本興業ホールディングス会長)・古舘寛治(俳優)・正田壮治(プロレスラー) |
稲田美紀の高校時代
高校時代の稲田美紀さんはハンドボール部に所属し、マネージャーを務めていました。
選手でなくマネージャーを選んだ理由について、稲田美紀さんは「ハンドボール部には喧嘩の強い先輩がいて、ここにいれば快適な学校生活を送れると思ったから」と語っています。
学校の制服は紺色のジャケットにプリーツスカートでしたが、当時はスカート丈を加工するのが流行っており、稲田美紀さんもロングスカートで同級生とポーズを決めている写真を公開しています。
今でも同級生とは定期的に会っているようで、充実した高校生活だったことがうかがえますね。
出身中学校
稲田美紀さんの出身中学校は、和泉市立信太中学校です。
1947年に村立中学校として開校し、新興住宅地の「鶴山台」を主な校区としています。
月1回発行される学校だよりとは別に、公式サイトのブログで日々の出来事がつづられており、保護者からは学校生活の状況がよくわかると評判です。
Little Glee Monsterのメンバーだった芹奈さん、プロレスラーで政治家としても活動中のスペル・デルフィンさんもこの学校の出身です。
学校名 | 和泉市立信太中学校 |
所在地 | 〒594-0013 大阪府和泉市鶴山台1-1-1 |
最寄り駅 | 北信太駅・・JR(阪和線) 信太中学校前バス停・・南海バス(360,361系統) |
公式サイトHP | 和泉市立信太中学校 |
著名な卒業生 | 芹奈(元Little Glee Monster)・スペル・デルフィン(プロレスラー・政治家) |
稲田美紀の中学校時代
中学時代の稲田美紀さんは、バスケットボール部に所属していました。
また、この頃に現在の事務所の先輩である「ブラックマヨネーズ」の吉田敬さんの熱烈なファンとなり、追っかけをしていたそうです。
グッズを買い集めるなどかなりの入れ込みようで、オークションで6万円のグッズを落札したこともあったと明かしました。
中学生にとってはかなりの大金ですが、お年玉などを頑張って貯めていたようですね。
出身小学校
稲田美紀さんの出身小学校は、非公開です。
出身中学校の校区を確認すると、以下のいずれかの可能性があります。
・和泉市立鶴山台北小学校
・和泉市立鶴山台南小学校
今後、番組やSNSなどで出身校につながる情報が出ることに期待しましょう。
稲田美紀の小学校時代
小学校時代の稲田美紀さんは成績優秀で、6年生の時には生徒会長を務めるなど、周りからの信頼が厚い生徒でした。
勉強熱心だったせいか視力が落ち、小学校2年生の時から眼鏡をかけ始めています。
当時は眼鏡をかけている同級生は少なく、ちょっとインテリキャラを演じていたこともあったようです。
現在のクールなスタイルは、この頃に培われたものかもしれませんね。
稲田美紀の経歴
実はギターが得意で、学生時代の友人の披露宴でその腕前を披露したこともある稲田美紀さん
どのような経歴があるのかを見ていきましょう。
芸人になったきっかけ
稲田美紀さんがお笑いに興味を持ったきっかけは、中学2年生の時に兄から「面白いラジオ番組がある」と、ブラックマヨネーズがMCを務める番組を勧められたことでした。
聴き始めるとたちまち夢中になり、「この人たちはどんな顔をしているのだろう」と吉田敬さんの追っかけを始めることになったのです。
大学入学後も追っかけは続き、稲田美紀さんは「普通に働くのは向いていない」と確信しまて。お笑い芸人になることを決めました。
本当は在学中にNSC入りし、Wスクールで学ぶことを目指していたのですが、厳格な両親に言い出せず、卒業後の2010年にNSC大阪校に入校となりました。
中学生の頃から一途にお笑いへの熱意を持ち続けたことが、現在の稲田美紀さんを作り上げたのですね。
主な活動経歴
稲田美紀さんはNSC入校後、同期の國松恵(現:グリフォン國松)さんとコンビ「ブリの白子」を結成します。
ブリの白子は大阪で舞台を中心に活動していましたが、國松恵さんの東京進出が決まったことにより2014年に解散となりました。
新たな相方を探し、ゆりやんレトリィバァさんから現在の相方である熊元プロレスさんを紹介され、コンビを組むことになったのでした。
コンビでの活動のほか、ピン芸人のkento fukayaさんがプロデュースする芸人アイドルグループ「ZiDol(ズィードル)」のメンバーとしても活動中です。
さらには『初めまして紅しょうが稲田美紀です。』という個人のYouTubeチャンネルを立ち上げ、生配信を精力的に行うなど、独自の世界観での活動が評価されています。
稲田美紀のプロフィール
芸名 | 稲田 美紀(いなだ みき) |
本名 | 稲田 美紀(いなだ みき) |
生年月日 | 1989年1月30日 |
出身地 | 大阪府和泉市 |
身長 | 165cm |
体重 | 非公開 |
血液型 | AB型 |
立ち位置 | 向かって右 |
熊元プロレスの学歴・経歴
定番の衣装がジーンズ上下であることから、「真剣にベストジーニストを狙っている」と語ったことがある熊元プロレスさん。
どのような学歴を持っているのか、熊元プロレスさんの経歴を見ていきましょう。
熊元プロレスの学歴
熊元プロレスさんの出身校や学生時代のエピソードを、大学から小学校の順に紹介します。
出身大学
熊元プロレスさんは神戸女子大学 文学部史学学科を1年で中退しています。
1940年に「神戸新装女学院」として、現在の家政科にあたる学校を設立したのが始まりで、その後文学部などの設置を経て現在の大学となりました。
広島テレビ社員で元アナウンサーの糸永直美さん、山梨放送アナウンサーの植万由香さん、写真家の永瀬沙世さんもこの大学の出身です。
学校名 | 神戸女子大学 ※中退 |
学科・コース | 文学部史学学科 |
偏差値 | 51~67 |
所在地 | 〒654-8585 兵庫県神戸市須磨区東須磨 青山2-1 ※須磨キャンパス |
最寄り駅 | 須磨駅・・JR(山陽本線) 山陽須磨駅・・山陽電気鉄道(本線) 高倉台南口バス停・・神戸市バス(71,72系統) ※須磨キャンパス |
公式サイトHP | https://www.yg.kobe-wu.ac.jp/wu/ |
著名な卒業生 | 糸永直美 (広島テレビ元アナウンサー)・植万由香(山梨放送アナウンサー)・永瀬沙世(写真家) |
熊元プロレスの大学時代
熊元プロレスさんは歴史が好きで、学芸員資格の取得を目指してこの大学に入学しました。
しかし、学芸員の主な勤務先となる博物館や図書館の就職倍率は高く、「じゃあ歴史は趣味でいいや」と1年生の前期で中退してしまったのです。
大学の学費は1年分納めており、熊元プロレスさんは後期分の学費を無駄にしてしまったことについて「親泣かせ」と語ったこともあります。
今や売れっ子ですから、十分に親孝行できているのではないでしょうか。
出身高校
熊元プロレスさんの出身高校は、神戸市立須磨高等学校です。
1922年に神戸市立高等女学院として開校し、1949年の校名変更と同時に共学化されました。
当時の教育目標は「人・社会・希望につながる学校へ」です。
神戸市の高校再編計画により、市立神戸西高等学校と統合した「神戸市立須磨翔風高等学校が2009年に開校し、市立須磨高等学校は2011年3月31に閉校しました。
『鉄人28号』などで知られる漫画家の横山光輝さん、ロックバンド「ガガガSP」メンバーである桑原康伸さん、田嶋悟士さんもこの学校の卒業生です。
学校名 | 神戸市立須磨高等学校 ※2011年3月閉校 |
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | - |
所在地 | 〒654-0014 兵庫県神戸市須磨区若木町四丁目3番1号 |
最寄り駅 | - |
公式サイトHP | https://www.yg.kobe-wu.ac.jp/wu/ |
著名な卒業生 | 横山光輝(漫画家)・桑原康伸、田嶋悟士(ガガガSP) |
熊元プロレスの高校時代
高校時代の熊元プロレスさんは、ハンドボール部に所属していました。
体格のよさを見込まれてゴールキーパーを任され、かなりの実力だったようです。
今では豪快キャラが売りの熊元プロレスさんですが、実は高校入学時にキャラ変更を試みていました。
それまでの明るいキャラを封印し、「クールにいこう」と決めたのです。
謎めいたキャラを演じるために入学後約2ヶ月間一人で過ごしたのですが、ふと気が付くと周りは友達同士で楽しそうに過ごしていることに気づき、後悔したと言います。
寂しくなった熊元プロレスさんは、改めて友人を作るために当時流行っていた漫画『クローズ』全28巻を毎日カバンに入れて登校し、「移動図書館状態だった」と笑いながら明かしました。
一方で推し活にも力を入れ、特にKinKi Kidsの大ファンで、母親と一緒に夜行バスに乗って東京ライブに行っていたそうです。
母親と一緒に行くところに、熊元プロレスさんのかわいらしさを感じますね。
出身中学校
熊元プロレスさんの出身中学校は、公表されていません。
神戸市内の公立中学校の出身だと思われますが、残念ながら特定できませんでした。
しかし、熊元プロレスさんは高校時代にハンドボール部に所属していたことから、中学校でもプレーしていた可能性があります。
ハンドボール部のある神戸市の中学校は、以下の3校です。
・神戸市立横尾中学校
・神戸市立本山中学校
今後、SNSなどで出身校が公表されることに期待しましょう。
熊元プロレスの中学校時代
熊元プロレスさんは自身の中学時代を「おちゃらけキャラだった」とインタビューで答えています。
当時から体格がよく、さばさばした性格で男女問わず人気があったようです。
一方で乙女な一面も持ち合わせており、彼氏が欲しくてたまらなかったとも明かしました。
当時の恋愛状況などやエピソードを詳しく聞いてみたいですね。
出身小学校
熊元プロレスさんの出身小学校も非公表です。
神戸市は東西に長く広がっていますが、出身高校のある須磨区は西寄りにあるため、神戸市西部の小学校に通っていた可能性があります。
紅しょうがの公式YouTubeでは地元をめぐる企画をアップしていますが、小学校が特定できるような情報はありませんでした。
今後、もう少し踏み込んだ地元情報を語ってくれることに期待したいですね。
熊元プロレスの小学校時代
熊元プロレスさんは小学生の頃から体格がよく、いわゆるぽっちゃりタイプの生徒でした。
通っていた小学校では、健康診断で「肥満」と判定された生徒を集めて生活習慣の指導が行われており、生徒たちは「肥満クラブ」と呼んでいたそうです。
熊元プロレスさんも「肥満クラブ」の仲間入りを果たし、毎日放課後にクラス全員の前で名前を呼ばれたり、保健室で食事指導を受けたりといったことを経験しました。
今では考えられない指導方針ですが、当時は生徒たちもあまりつらく感じていなかったのかもしれませんね。
熊元プロレスの経歴
昔の彼氏と正月3が日を一緒に過ごしたが、「ずっと彼氏がパチンコ店に入りびたりでつらかった」という思い出を語ったことがある熊元プロレスさん
芸人になったきっかけや経歴について見ていきましょう。
芸人になったきっかけ
熊元プロレスさんがお笑い芸人になろうと思ったきっかけは、ズバリ「モテたいから」でした。
小学生の頃からおデブキャラだったため、ビジュアルでは勝負できないと考えた熊元プロレスさんは、「一緒にいて楽しいと思ってもらうように、面白い方面でモテよう」と決めたのです。
モテたい願望は高校卒業後も続き、大学を中退後に2年間フリーター生活で資金をためて、2012年にNSC大阪校に35期生として入校したのでした。
主な活動経歴
NSC入校後、熊元プロレスさんは同期のゆりやんレトリィバァさんとコンビ「イナズマパンティーズ」を結成しました。
しかしスケジュールの都合がつかず、一度もネタ合わせができないまま解散してしまいます。
解散後は田津原理音さんらのトリオやピン芸人として活動後、元相方のゆりやんレトリィバァさんから稲田美紀さんを紹介され、2014年10月から舞台に立つようになりました。
芸名の「熊元プロレス」の名付け親は村上ショージさんの娘で、現在は芸術家として活動するつみきさんによるものです。
真っ赤な口紅にごつい体格、どすの効いた声でのトークはインパクト抜群で、一度見たら忘れられないと言われています。
また、『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』では、真逆のキャラとも思える水原希子さんの物まねを披露し、大きな評判となりました。
ラジオ番組では繊細な一面も披露し、姉御肌とそのやさしさに憧れる女性ファンを増やしています。
熊元プロレスのプロフィール
芸名 | 熊元 プロレス(くまもと ぷろれす) |
本名 | 熊元 侑里恵(くまもと ゆりえ) |
生年月日 | 1990年11月30日 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
身長 | 165cm |
体重 | 非公開 |
血液型 | B型 |
立ち位置 | 向かって左 |
紅しょうがの結成
え、ええ!?無真っ正面気をつけよ、、 pic.twitter.com/2Lb9JHqENr
— 紅しょうが 稲田美紀 (@inadamiki) October 5, 2021
紅しょうがは吉本興業東京本社に所属するお笑い芸人で、ボケ担当の熊元プロレスさんと、ツッコミ担当の稲田美紀さんのコンビです。
NSC大阪校の先輩後輩だった出会った二人は、お互いに前のコンビを解散後、ゆりやんレトリィバァさんの紹介で2014年にコンビを結成しました。
当初は「みゆき」というコンビ名でしたが、自己紹介の際にわかりにくいという理由で、結成後ほどなく「紅しょうが」に改名しています。
女子の日常をテーマにした漫才が得意で、ありそうでなさそうな事柄を一気にまくしたてるネタは女性たちの共感と支持を集めました。
賞レースにも積極的で、2023年の「女芸人No.1決定戦 THE W」で優勝、「M-1グランプリ」でも2年連続で準々決勝に進出するなど、その実力は折り紙付きです。
2023年4月からは東京に拠点を移し、「女性コンビ初のM-1王者を目指す」と、抱負を語っています。
まとめ
紅しょうがの経歴とメンバー熊元プロレスさん・稲田美紀さんの学歴や出身校についてご紹介しました。
強烈なビジュアルの熊元プロレスさんをクールにリードする稲田美紀さんは「猛獣使い」と言われることもあり、ミステリアスな雰囲気を倍増させています。
二人のコンビネーションは抜群で、テレビではできない企画を動画サイトでは果敢にチャレンジし、二人にハマるファンはますます増加中です。
賞レースでは着実に爪あとを残し、M-1グランプリ初の女性王者に一番近いとも言われる紅しょうがは、今後も舞台にとどまらず各方面で活躍してくれることでしょう。