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宮城大弥の学歴や経歴を紹介!出身高校や大学情報

プロ野球パ・リーグのオリックス・バファローズに所属する宮城大弥さん。

ダイナミックなフォームで多彩な変化球を投げ分け、ベテランのような安定感を誇る一方、ヒーローインタビューで見せる初々しさとのギャップがかわいいと評判になり、ファンの心をわしづかみにしています。

そんな宮城大弥さんはどのような少年時代を送ってきたのでしょうか。

宮城大弥さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。

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宮城大弥さん 学歴・出身校

穏やかで物おじしない性格で、試合での堂々としたふるまいはオーラを感じさせると評判になり、「神様仏様宮城様」とデザインされたオリジナルTシャツが飛ぶように売れたという伝説を持つ宮城大弥さん。

宮城大弥さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。

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出身大学情報

宮城大弥さんは大学には進学していません。

高校を卒業後、2019年にドラフト1位指名を受けてオリックス・バファローズに入団しました。

高校時代に2度甲子園の全国大会に出場し、3年生の時にはU-18日本代表にも選出されるなど、素晴らしい成績を上げています。

宮城大弥さん自身もプロ入りの希望が強かったため、大学に進学することは頭になかったのでしょう。

出身高校情報

宮城大弥さんの出身高校は、私立興南高等学校です。

沖縄県初の私立高校として1962年に設立され、「南(沖縄)を興す人材を育成する」という理念から興南と名付けられました。

古くからスポーツ系の部活動に力を入れていることで知られ、硬式野球部をはじめハンドボール部、ボクシング部もインターハイ出場を果たしています。

オリックス・バファローズの先輩でもある大城滉二さん、プロゴルファーの宮里美香さん、元プロボクサーで現在はタレントとしても活躍中の具志堅用高さんもこの学校の卒業生です。

学校名 私立興南高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 49~52
所在地 〒902-0061 沖縄県那覇市古島一丁目7番1号
最寄り駅 古島駅・・沖縄都市モノレール
興南高校前バス停・・沖縄バス、那覇バス、琉球バス
公式サイトHP https://konan-h.ed.jp/
著名な卒業生 大城滉二(プロ野球選手)・宮里美香(プロゴルファー)具志堅用高(タレント。元プロボクサー)

宮城大弥さんの高校時代

中学生の頃からU-15日本代表に選出されるなど、実力を高く評価されていた宮城大弥さんは、全国の野球強豪校から誘いがありました。

しかし「地元の高校から甲子園に出場してほしい」という父親の希望があり、地元の興南高校に進学し、1年夏、2年夏の2回甲子園に出場しています。

当時からコントロールがよく球威もあり、ピンチの時にも顔色一つ変えずに投げ続けるところから、報道陣からは「琉球王子が出現した」と言われるようになりました。

ところが、それを聞いた当時の興南野球部の監督は「違うよ、彼は”ベテランみたいなジジイ“だよ」と答えたのです。

このインタビューが大きく取り上げられ、宮城大弥さんのキャッチフレーズ「琉球ジジイ」が生まれたのでした。

高校生なのに”ジジイ”と呼ばれるのはちょっと気の毒な気もしますが、宮城大弥さん自身はまったく気にすることなく、いつもマイペースだったそうですよ。

出身中学校情報

宮城大弥さんの出身中学校は、宜野湾市立嘉数(かかず)中学校です。

宜野湾市の南部に位置し、近くには大学も多く、学生が行き来するエリアとしてにぎわっています。

普天間基地に近く騒音が激しいため、防衛省の補助金で校舎を改築するなど、沖縄ならではのエピソードを持つ中学校です。

福岡ソフトバンクホークスで活躍した島袋洋奨さん、東京オリンピックのレスリング競技で銅メダルを獲得した屋比久翔平さんもこの学校の卒業生です。

学校名 宜野湾市立嘉数中学校
所在地 〒901-2214 沖縄県宜野湾市我如古423番地
最寄り駅 真栄原バス停・・那覇バス
公式サイトHP 嘉数中学校のサイト
著名な卒業生 島袋洋奨(元プロ野球選手)・屋比久翔平(レスリング選手)

宮城大弥さんの中学時代

宮城大弥さんは、地元の硬式野球チーム「宜野湾ポニーズ」に所属していました。

宜野湾ポニーズは小中学生を対象にした硬式野球団体「ポニーリーグ」に加盟しており、宮城大弥さんは中学生の頃から硬式野球に親しんでいたのです。

チームはアジア太平洋地域選手権大会で準優勝し、宮城大弥さんもU-15日本代表に選出されるなど、野球漬けの毎日を送っていました。

当時の監督は宮城大弥さんのことを「”負けない男“だった。点を取られたのを見たことがない。左ひじを痛めた時は利き腕でない右腕でも問題なくプレーしていた」と語っています。

ケガをした時にも解決策を見つけてプレーする宮城大弥さんは、柔軟な思考の持ち主なのかもしれませんね。

出身小学校情報

宮城大弥さんの出身小学校は、宜野湾市立志真志(しまし)小学校です。

地域の人口増加に伴い、1982年に宜野湾小学校と嘉数小学校の一部を分離して設立されました。

ミニバスケットボール部や音楽部は全国大会への出場経験もあるなど、部活動も盛んです。

隣接する志真志幼稚園とあわせ、広い敷地内でのびのびと学べる環境が揃っていると地元では高評価を受けています。

学校名 宜野湾市立志真志小学校
所在地 〒901-2211 沖縄県宜野湾市宜野湾3-5-1
最寄り駅 志真志バス停・・那覇バス
公式サイトHP 志真志小学校のサイト
著名な卒業生

宮城大弥さんの小学校時代

宮城大弥さんは小学校時代に地元の野球チームでプレーしていました。

家庭の事情により野球にはお金をかけられませんでしたが、それでも手元にある野球道具を大切に使い、人一倍練習していたのです。

また、勉強もおろそかにせず真面目に学んでいた、と母校を訪問した際に語りました。

その場で宮城大弥さんは「目標を持つことが大事で、それが夢につながる」と生徒に語りかけています。

人柄のよさ、真面目さ、苦労をしたからこそ出てくる言葉には重みがありますね。

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宮城大弥さんの選手経歴

「負けるまで髪を切らない」とゲン担ぎをしていたのに、ある日突然0.5mmに刈った坊主頭で球場に現れ、スポーツニュースに大きく取り上げられたこともある宮城大弥さん。

宮城大弥さんが野球を始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。

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選手になったきっかけ

宮城大弥さんは、4歳の時に地元の少年野球チームに入団しましたが、決して恵まれてはいませんでした。

父親が事故に遭った影響で定職につけず、経済的に苦しい日々を過ごしていたのです。

幼い頃から野球をしていた宮城大弥さんですが、革のグローブを買ってもらうことができずにビニール製の700円のグローブでプレーしていました。

そのグローブは宮城大弥さんにとって一番の宝物でしたが、ある日、使いやすくするために電子レンジで加熱したところ溶けてしまったという、悲しい経験をしています。

破れたユニフォームを直してつぎはぎ状態で着ていたこともあり、同級生にからかわれることもありましたが、それでも野球に対する情熱は消えることはありませんでした。

幼少期のつらい経験が、多少のことでは動じない宮城大弥さんを作り上げたのですね。

経歴・エピソード

宮城大弥さんを指導した監督たちは口をそろえて「宮城はホンモノの“野球小僧”だった」と語っています。

朝から夜まで野球に夢中で、いつも練習をしている姿を多くの人たちが見ていました。

体が丈夫で故障が少なく、さらにハートが強くいつも冷静なプレーができたため、チームの中でも頼れる選手として成長していったのです。

中学、高校時代にはすでに日本代表としてアマチュア野球界では知る人ぞ知る存在でした。

オリックス・バファローズに1位指名され、ルーキーイヤーはウエスタン・リーグの最多勝を獲得するなど「いい意味で期待を裏切る活躍」をあげました。

翌2021年は1軍で先発ローテーション入りを果たし、見事に新人王に輝いたのです。

そんな素晴らしい成績を上げているにもかかわらず、オールスターゲームのファン投票で投手部門トップになった時には間違いです。いてはいけないところに入った気がする」と真顔で語っています。

大胆なプレーと控えめなコメントのギャップが、より一層ファンの心をつかんでいるのではないでしょうか。

まとめ

宮城大弥さんの学歴や経歴について紹介しました。

決して恵まれた環境で野球ができていたわけではありませんが、芯の強さと優れた身体能力で、今ではプロ野球界きっての人気投手となりました。

自分が苦労した経験を元に、経済的な理由でスポーツを諦めなければならない沖縄県内の学生を支援する「宮城大弥基金」を設立し、後輩たちの支援をしています。

宮城大弥さんを目標にしている子供たちにさらなる夢を与えるために、これからも素晴らしい活躍を見せてくれることでしょう。

「球界の癒しキャラ」である宮城大弥さんから、私たちも目が離せません。

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宮城大弥さん プロフィール

氏名 宮城 大弥(みやぎ ひろや)
生年月日 2001年8月25日
出身地 沖縄県宜野湾市
身長 171cm
血液型 A型

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