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湯浅京己の学歴や野球経歴!怪我に泣いた高校時代

プロ野球セ・リーグの阪神タイガースに所属する湯浅京己さん。

ダイナミックな投球フォームから繰り出すストレートと多彩な変化球を巧みに使い分け、安定感のある中継ぎ投手としてチームからはもちろん、ファンからも絶大な信頼を得ています。

そんな湯浅京己さんはどのような少年時代を送ってきたのでしょうか。

湯浅京己さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。

 


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湯浅京己の学歴・出身校

「京己」と書いて「あつき」と読む珍しい名前が話題となり、ヒーローインタビューでは「アツアツな投球ができた」と語って一躍人気者となった湯浅京己さん。

湯浅京己さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。

湯浅京己の大学:進学せず、独立リーグへ

湯浅京己さんは大学には進学していません。

高校を卒業後、独立リーグの富山GRNサンダーバーズ で1年間プレーし、2018のドラフト6位で阪神タイガースに入団しています。

高校卒業後に大学進学も考えましたが、独立リーグに1年在籍すると翌年にはドラフト対象となることを知り、短期間でのプロ入りを狙って進路を決めたのでした。

湯浅京己の出身高校

湯浅京己さんの出身高校は、私立聖光学院高等学校です。

福島県伊達市に校舎があり、1962年にキリスト教系の聖光学院工業高等学校として設立されました。

現在は4年制大学への進学を目指す普通科と、高い就職率を誇る工学科があり、それぞれ3コースが設けられています。

部活動にも力を入れており、硬式野球部、サッカー部、ラブビー部は全国大会への出場を果たしました。

中日ドラゴンズの東條大樹さん、山浅龍之介さん、元オリックス・バファローズの中川颯さん、サンフレッチェ広島やヴィッセル神戸で活躍した茂木弘人さんもこの学校の卒業生です。

学校名 私立聖光学院高等学校
学科・コース 不明
偏差値 65~70
所在地 〒960-0486 福島県伊達市六角3
※第一校舎
最寄り駅 伊達駅・・JR(東北本線)
公式サイトHP https://www.seikogakuin.jp/index.php
著名な卒業生 岡野祐一郎、山浅龍之介(プロ野球選手)・茂木弘人(元:プロサッカー選手)

湯浅京己さんの苦難の高校時代

湯浅京己さんは「野球に集中する」と決意して三重県の親元を離れ、幼少期から憧れていた聖光学院に入学しました。

しかし、入学直後から体の成長に伴う腰痛に苦しみ、一時は歩くのもつらいほどの症状に悩まされることになったのです。

野球の練習どころではなく、2年生の秋まではマネージャーとして部活に参加する日々を送りました。

選手に復帰後、3年春の県大会では145km/hの速球を記録し、エースとして期待されましたが、2017年夏の甲子園大会ではベンチ入りを逃してアルプス席からチームを応援するという悔しさを味わっています。

湯浅京己さんは高校卒業の日に「いろんなことがあったけど最高でした。今までありがとう!」とSNSでつぶやいています。

ケガに泣かされた高校生活でしたが、周囲に恵まれて悔いなく過ごせたことがよくわかるつぶやきですね。

湯浅京己の出身中学校

湯浅京己さんの出身中学校は、尾鷲市立尾鷲中学校です。

JR尾鷲駅の南東約2kmの場所にあり、東に進むと熊野灘がのぞめます。

校外学習に力を入れており、海岸での昼食会や、近隣の中学校と合同で市長との懇談会が開かれるなど、生徒がのびのびと育つ環境作りに力を入れています。

部活の掛け持ちを認めており、文化系・運動系の両方で精力的に活動する生徒もいるのが特徴です。

学校名 尾鷲市立尾鷲中学校
所在地 〒519-3671 三重県尾鷲市矢浜2-16-7
最寄り駅 尾鷲駅・・JR(紀勢本線)
岡崎野田バス停・・尾鷲市ふれあいバス
公式サイトHP 尾鷲中学校のサイト
著名な卒業生

湯浅京己さんの中学時代

中学時代の湯浅京己さんは、地元の野球チーム「伊勢志摩ボーイズ」に所属していました。

北海道日本ハムファイターズに育成選手として所属している山本晃大さんはチームメートで、一緒にプレーしていたのです。

三重県では強豪チームとして知られ、2012年にはジャイアンツカップ、2013年にはボーイズ選手権大会でそれぞれ準々決勝に進み、湯浅京己さんも強豪校のスカウトの目に留まることになりました。

「中学生なのに体がしなやかで、速球派の投手になる」と高い評価を得ていたようですよ。

湯浅京己の出身小学校

湯浅京己さんの出身小学校は、尾鷲市立尾鷲小学校です。

尾鷲中学校の約500m北に位置し、近くには市立尾鷲天文科学館があります。

国語や算数などの教科だけではなく、「総合学習」に力を入れており、3年生は手話を習うなど社会に出てからも役立つ学びが多いことで有名です。

海に面した学校であることから津波や災害の教育にも力を入れており、教師だけでなくPTAも協力しての避難訓練にも精力的に取り組んでいます。

学校名 尾鷲市立尾鷲小学校
所在地 〒519-3616 三重県尾鷲市中村町4-58
最寄り駅 尾鷲駅・・JR(紀勢本線)
公式サイトHP 尾鷲小学校のサイト
著名な卒業生

湯浅京己さんの小学校時代

湯浅京己さんは小学4年生の時に、地元チームの「尾鷲少年野球団」で野球を始めました。

本当は入学と同時に野球を始めたかった湯浅京己さんでしたが、父親から「肩や肘を酷使するな」という教えを守り、高学年になってからの入団しています。

当時のポジションは内野手でしたが、この頃にテレビで見た高校野球の聖光学院のプレーに心を奪われ、より一層練習に力が入るようになったのです。

「幼い頃から聖光学院で野球をしたいと思っていた」と語り、それを実現した湯浅京己さんは、一途な心の持ち主なのかもしれませんね。


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湯浅京己さんの選手経歴

努力して試練を乗り越えれば、雲のない青空がのぞめるという意味の「雲外蒼天」が座右の銘で、グラブやシャツにも刺繡を施していると言う湯浅京己さん。

湯浅京己さんが野球を始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。

選手になったきっかけ

湯浅京己さんが野球を始めたきっかけは、父親の影響によるものでした。

父親はかつて社会人野球チームに所属し、捕手としてプレーしていたのです。

家族全員が野球好きだったこともあり、湯浅京己さんも野球をしたいと考えていましたが、それを止めたのも父親でした。

「長く野球をしたいなら、肩や肘を酷使するな、我慢しろ」という教えを守り、小学校4年生の時に地元のチーム「尾鷲野球少年団」に入団し、野球を始めます。

最初のうちは内野手としてプレーしていた湯浅京己さんですが、中学生の時には全国レベルの大会に出場するなど、めきめきと腕を上げていきました。

そして、憧れの聖光学院高等学校に入学し、夢の甲子園出場を目指そうとした矢先に、腰痛に見舞われたのです。

3年生の時に母校は甲子園に出場したものの、自身はベンチ入りできずにスタンドで応援するという悔しさを味わったのでした。

部活を引退後、周囲からは大学進学を勧められましたが、湯浅京己さんは「大学に行けばプロ入りは4年後、独立リーグなら1年後にはドラフト対象になる」と、独立リーグに行くことを決めたのです。

湯浅京己の野球経歴

2017年にBCリーグのトライアウトを受験し、その後、富山GRNサンダーバーズにドラフト1位で指名され、1年後にはNPBに挑戦することを前提に入団したのでした。

富山GRNサンダーバーズに入団後は先発ローテーションの一角を担うとともに、基礎体力の向上や投球フォームの修正に力を入れました。

そして、翌年のNPBドラフト会議で阪神タイガースから6巡目で指名され、憧れのプロ野球選手になったのです。

入団後3年間は故障や不調もあり思うような成績を残せませんでしたが、2022年に一軍戦で中継ぎとして登板するとその安定感が評価され、徐々に登板回数を増やしていきます。

2022年には歴代最年少の最優秀中継ぎ投手のタイトルを手にし、日本代表の強化選手に選出されるなど、今、最も勢いのある投手の一人です。

グローブには座右の銘の「雲外蒼天」と共に、青いクマの刺繍があります。

これはあ:焦るな、お:怒るな、い:威張るな、く:腐るな、ま:負けるな」を表し、富山GRNサンダーバーズの監督から授かった言葉なのです。

この言葉を胸に、湯浅京己さんは度重なる故障や悔しい思いを乗り越えてきたのではないでしょうか。

まとめ

湯浅京己さんの学歴や経歴について紹介しました。

「自分に与えられた試練は必ず乗り越えられる」と語る湯浅京己さんは、どんな時も心折れることなく自分の信念を貫き通しています。

巨人ファンだった家族が、阪神タイガースへの入団が決まったとたんに、毎日六甲おろしを歌っているなど、明るい家庭で育ったことも、活躍の支えになっているのでしょう。

独立リーグ出身者で初のWBCメンバーに選出され、プロ野球選手を目指す多くの人たちの星として、世界に羽ばたく湯浅京己さんを見守っている人がたくさんいます。

世界の舞台でも、皆をあっと言わせる投球を見せてくれることに期待しましょう。

 


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湯浅京己さん プロフィール

氏名 湯浅 京己(ゆあさ あつき)
生年月日 1999年7月17日
出身地 三重県尾鷲市
身長 183cm
血液型 O型

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