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山川穂高の学歴や経歴を紹介!出身大学や高校情報

プロ野球パ・リーグの埼玉西武ライオンズに所属の山川穂高さん。

球界を代表するパワーヒッターで、豪快なフルスイングと、巨漢ながら俊足と言う意外性、そしてお茶目なキャラクターでファンを楽しませています。

そんな山川穂高さんはどのような少年時代を送ってきたのでしょうか。

山川穂高さんの学歴や経歴を順に見ていきましょう。

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山川穂高さん 学歴・出身校

体重100kgを超すボディーがチャームポイントで、自身を「アグー」と呼んだり、試合前には相撲の「どすこいパフォーマンス」を披露したりと、愛されキャラの山川穂高さん。

山川穂高さんの出身校とそれぞれの特徴を、大学から小学校の順にご紹介します。

出身大学情報

山川穂高さんの出身大学は、富士大学です。

岩手県花巻市にある経済学部のみの単科大学で、1965年に設立されました。

岩手県内の高等教育と地域発展に寄与するために県内の5大学と相互教育を実施し、それぞれの大学で単位互換や図書館の相互利用ができるのが特徴です。

野球部とサッカー部の強豪としても名を知られており、いずれも全国大会への出場経験があります。

埼玉西武ライオンズのチームメイトである佐藤龍世さん、佐々木健さん、阪神タイガースの小野泰己さんなど、多くのプロ野球選手を輩出しています。

学校名 富士大学
学科・コース 経済学部 経営法学科
偏差値 41~44
所在地 〒025-0025 岩手県花巻市下根子450-3
最寄り駅 花巻駅・・JR(東北本線) ※スクールバスあり
北上駅・・JR(東北本線) ※スクールバスあり
富士大学入口バス停・・岩手県交通バス(石鳥谷線)
公式サイトHP http://www.fuji-u.ac.jp/
著名な卒業生 佐藤龍世、佐々木健、小野泰己(プロ野球選手)

山川穂高さんの大学時代

甲子園出場を目指していた山川穂高さんの願いはかなわず、高校卒業と同時に野球をやめるつもりでした。

しかし、当時の富士大学監督の青木久典さんは実力を高く評価し、何度も沖縄に足を運んで山川穂高さんをスカウトしたのです。

意気を感じた山川穂高さんは進学して野球を続けることを決め、入学後は1年生から4番を任され、卒業までに打点王やベストナインなど多くの賞を獲得しています。

4年生の時には東アジア競技大会のメンバーに唯一の大学生として選出され、韓国戦で満塁ホームランを放ちました。

「青木監督に『1年生から必ず4番を打たせて、必ずプロに行かせるのでうちに来てください』と言われていなかったら今の自分はない」と山川穂高さんは振り返っています。

出身高校情報

山川穂高さんの出身高校は、沖縄県立中部商業高等学校です。

1965年に「琉球政府立中部商業高等学校」として発足し、1972年に沖縄県の日本復帰により県立高校になりました。

ビジネス系の3コースの他に生涯スポーツ科が設置されているのが特徴で、プロ野球選手や女子バレーボール選手にもこの学校の卒業生が多く在籍しています。

埼玉西武ライオンズの多和田真三郎さんは2年後輩にあたり、他にはORANGE RANGEのYAMATOさんもこの学校の卒業生です。

学校名 沖縄県立中部商業高等学校
学科・コース 不明
偏差値 39
所在地 〒901-2214 沖縄県宜野湾市我如古2-2-1
最寄り駅 中部商業高校前バス停・・琉球バス交通、那覇バス、沖縄バス
公式サイトHP http://www.chubu-ch.open.ed.jp/
著名な卒業生 多和田真三郎(プロ野球選手)・YAMATO(ORANGE RANGE)

山川穂高さんの高校時代

中部商業高校の硬式野球部は甲子園出場経験があり、山川穂高さんも出場を夢見て硬式野球部に入部しています。

しかし先輩たちのレベルも高く、1年生の時にはベンチ入りすらできないという苦しい日々を過ごしました。

心が折れて退部を決意し、母親に相談したところ「別にいいよ。でも、せっかくだから次の試合まで続けてみたら」という返事が返ってきたのです。

その後、1年生のみが出場する試合で4番を任された山川穂高さんは、人生初のホームランを放ったのでした。

山川穂高さんは「あの1本がなかったら野球をやめていた」とのちにインタビューで語っています。

その後は退部せずに練習に打ち込み、3年生の夏の沖縄大会では決勝まで進みましたが、残念ながら甲子園出場は果たせませんでした。

夢はかないませんでしたが、高校時代に山川穂高さんはもっと大きなものを手に入れたのでしょうね。

出身中学校情報

山川穂高さんの出身中学校は、那覇市立城北中学校です。

那覇市の北東部に位置し、最寄りの石嶺駅から坂を上ったところに校舎があります。

私立中学校の中ではスポーツ教育に力を入れており、広いグラウンドにはナイター設備があるなど、部活動には恵まれた環境です。

元DA PUMPのYUKINARIさんはこの学校の卒業生で、ガレッジセールの川田広樹さんが在籍していたことでも知られています。

学校名 那覇市立城北中学校
所在地 〒903-0804 沖縄県那覇市首里石嶺町1-112
最寄り駅 石嶺駅・・ゆいレール
公式サイトHP 城北中学校のサイト
著名な卒業生 川田広樹(ガレッジセール。途中で転校)・YUKINARI(元:DA PUMP)

山川穂高さんの中学時代

中学時代の山川穂高さんは、バレーボール部に所属していました。

それだけでなく、地元の野球クラブ「チームSOLA沖縄」にも所属していたのです。

このチームは元ヤクルトスワローズで監督を務めた大矢明彦さんが名誉監督を務める名門で、山川穂高さんはここで硬式野球を学びました。

当時の監督からは「おまえはホームランバッターになれるから、絶対に小さい打撃をするな」と指導を受け、全国大会出場も経験しています。

山川穂高さんの大胆なバッティングスタイルは、この頃に育まれたのではないでしょうか。

出身小学校情報

山川穂高さんの出身小学校は、那覇市立城北小学校です。

城北中学校の約300m西に位置し、周りを住宅地に囲まれています。

教師と生徒の関係がよいことで知られており、保護者向けのアンケートが盛んにおこなわれるなど、教育熱心な学校として地域に定着しています。

学校での様子を月に一度「おたより」として配信するなど、安心して通える学校として高い評価を受けている学校です。

学校名 那覇市立城北小学校
所在地 〒903-0804 沖縄県那覇市首里石嶺1-162
最寄り駅 儀保駅・・ゆいレール
公式サイトHP 城北小学校のサイト
著名な卒業生

山川穂高さんの小学校時代

小学生時代の山川穂高さんは、地元チームの「首里マリナーズ」で軟式野球をしていました。

実は野球にさほど興味はなく、友人に誘われて試しにプレーしてみたところ「思ったよりもうまくできた」ので入団したと語っています。

山川穂高さんは野球を始める前にすでに水泳、アイススケートなどのスポーツに親しんでいました。

また、書道教室に通ったり独学でピアノを弾いたりとジャンルを問わずいろいろなことを経験しています。

「ただ見ているよりもやってみるのが好き」という、山川穂高さんらしいエピソードですね。

山川穂高選手の嫁についてはこちら>>>


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山川穂高さんの選手経歴

チームメイトを和ませるために得意のピアノを弾きこなし、書道では8段の腕前を持つなど、意外な特技を持っていることでも知られる山川穂高さん。

山川穂高さんが野球を始めたきっかけや経歴を見ていきましょう。

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選手になったきっかけ

山川穂高さんが野球を始めたきっかけは、小学校4年生の時に同級生に誘われて地元の野球チームに入団したことでした。

正直、野球に強い思い入れはありませんでしたが、チームに入団した2001年はイチローさんがシアトルマリナーズに移籍し、新人王、首位打者、盗塁王、MVPを獲得して大活躍した年なのです。

その活躍を見た山川穂高さんは「イチローさんはかっこいい。僕にとってのスーパースター」と衝撃を受けました。

しかしイチローさんの真似をするのではなく、自分なりのやり方で中学、高校の部活でも練習を続けます。

「真似してもできるものではない。やりたいようにやっていた」と当時を振り返る山川穂高さんのおおらかさが、今の独自のスタイルにつながっているのでしょう。

経歴・エピソード

中学、高校時代には何度も野球を辞めようと思った山川穂高さんですが、富士大学の監督に懇願され、野球を続けることを決意します。

今までの努力は大学で開花し、数々のタイトルや日本代表を経て、2013年にドラフト2位で埼玉西武ライオンズに入団しました。

2014年の開幕戦から「5番・指名打者」で先発し、ルーキーとしては異例のデビューを飾ります。

思い切りのいいスイングは「球界屈指の長距離砲」と呼ばれる一方、憎めない笑顔とぽっちゃり体型でゆるキャラ的な人気も博しました。

また、超ポジティブ思考の持ち主で、「打席では基本的に全球打つつもり。ボール球を振っちゃったら振っちゃったでいい」という明るさもファンを引き付けるチャームポイントの一つです。

きっと人知れず努力しているはずなのですが、そのストイックさを感じさせず、いつも明るい姿はファンを大事にしていることの証ではないでしょうか。

まとめ

山川穂高さんの学歴や経歴について紹介しました。

友人に誘われて始めた野球ですが、おおらかな性格と「自分は自分」というスタイルを貫き、今では球界屈指のパワーヒッターとして、多くの少年たちの憧れの存在です。

ファンサービスを絶やさない一方で、母校で講演した際には「今頑張ったら一生遊んで暮らせるから今頑張った方が良い」と語るなど、人知れず努力していたことがうかがえます。

地元への感謝の気持ちも強く、2018年には那覇市民栄誉賞を受賞しました。

山川穂高さんは沖縄のスターにとどまらず、世界のスターとして今まで以上の活躍を見せてくれることでしょう。

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山川穂高さん プロフィール

氏名 山川 穂高(やまかわ ほたか)
生年月日 1991年11月23日
出身地 沖縄県那覇市
身長 176cm
血液型 A型

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