ヴィジュアル系エアーバンドとして知られるゴールデンボンバー。
そのメンバーでありギター担当の喜矢武豊(きゃん ゆたか)さん。
バンドだけでなくSASUKEにも度々挑戦しており、SASUKE2022にも出場が予定されています。
広く活躍している喜矢武豊さんですが、出身校・学歴や芸能界へ入ったきっかけ、経歴をご紹介していきます。
喜矢武豊さん 学歴・出身校
喜矢武豊さんはどのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか?
出身大学
まず、大学時代から見ていきましょう。
喜矢武豊さんは拓殖大学出身のようです。
もともと英文科を目指しており別に第一志望の大学があったものの、最終的に合格したこちらへ入学を決めたようです。
大学時代の喜矢武豊さんはというと、大学1年生のときサークルへ所属していなかったことから意外にも友達は多くなかったといいます。
また、大学時代を牛丼で有名な松屋のアルバイトに打ち込んでいたという喜矢武豊さんは、シフトリーダーとして熱心に働き、牛丼5人前を30秒で作っていたというエピソードもご自身で語られています。
さらに「X JAPAN」のhideさんの大ファンだという喜矢武豊さんは、卒業論文で「X JAPAN」に関する論文を仕上げたといいます。
出身高校
喜矢武豊さんが高校時代を過ごしたのは、高島高校という板橋区にある都立の高校です。
高校では続けてきた野球部に入りますがレギュラー入りすることができず、野球選手になる夢に見切りをつけたといいます。
ですが、この野球部で今でも草野球をするほど仲の良い存在である1つ下の後輩、お笑いコンビ「鬼越トマホーク」の金ちゃんとの出会いがありました。
そして、高校3年生の時に今のゴールデンボンバーで作詞・作曲を手掛けている鬼龍院翔さんに出会います。
ふたりはお互い別々の高校へ通っていましたが、鬼龍院翔さんの文化祭でのステージパフォーマンスの映像を観た喜矢武豊さん。
その衝撃から共通の友人を通じて会わせてもらい、バンドを組まないか誘いますが断られてしまったことをのちに明かしています。
出身中学校
中学時代ですが、どうやら中学校以前の出身校については公にされていないようです。
ですが、喜矢武豊さんが板橋区出身であることから、板橋区内の公立の中学校ではないかと推測されます。
野球部に所属していた喜矢武豊さんは、全般的にスポーツが得意で運動神経に優れた少年だったようです。
大学で卒業論文のテーマにも選んだ「X JAPAN」の影響はすでにこの頃から受けていました。
ロックに興味を持った喜矢武豊さんはベースに手をつけ、その後ギターにもはまっていきます。
X JAPANはもちろん、GLAYやL’Arc〜en〜Cielなどといったバンドの曲を弾くようになるなど、音楽に夢中になっていきます。
出身小学校
中学校と同じように通っていた小学校も明確にはわかりませんが板橋区内にある公立の小学校である可能性が高いです。
喜矢武豊さんは小学4年生で一度転校を経験しています。
転校するまでは、人見知りでおとなしい性格だったようです。
しかし、小学校に入る以前は元気で活発的な男の子だったこともあり、転校してからは昔の明るい性格に戻ったといいます。
また、小学校の頃から野球を始めていた喜矢武豊さんですが、それだけでなく校内の金管バンドにも所属していたそうです。
そこでは、トランペットを演奏するなどこの頃から音楽に触れる機会があったことがわかります。
喜矢武豊さんの経歴
このような学生時代を送ってきた喜矢武豊さんですが、芸能界に入ったきっかけはなんだったのでしょうか?
芸能界に入ったきっかけ
喜矢武豊さんが大学2年生のときに、高校時代一度断られていた鬼龍院翔さんとのバンド結成が叶います。
2004年に「ゴールデンボンバー」のグループ名で鬼龍院翔さんと友人で結成された3人組のバンドでしたが、音楽性の考え方の違いなどから半年ほどで解散することになります。
一度解散したゴールデンボンバーでしたが、大学卒業を目前にして再び誕生します。
就職活動を始めていた喜矢武豊さんでしたが、両親に反対されながらも就職活動を辞め、鬼龍院翔さんとのバンド再結成を果たしたのです。
やがて、喜矢武豊さんの発案によりヴィジュアル系バンドを目指しました。
さらに、ゴールデンボンバーの特徴でもある「エアバンド」を取り入れたことにより
演奏よりもパフォーマンスを重視した現在のバンドへと形を変えていったのです。
喜矢武豊さんの経歴
実は、ゴールデンボンバーは2008年の喜矢武豊さんが23歳のときにメジャーデビューをしていますが、デビュー当初は今のようには注目されていませんでした。
ブレイクしたのは2009年のことです。
7枚目のシングルとしてリリースされた「女々しくて」が大ヒットし、紅白歌合戦に4年連続で出場を果たすほどの人気となりました。
その後もゴールデンボンバーはヒット曲を多く生み出し、次第に世に知られる存在へとなっていったのです。
まとめ
喜矢武豊さんの出身校・学歴や芸能界へ入ったきっかけ、経歴を紹介しました。
一度はバンド結成を断られたり、就職活動を中断したバンド活動の再開に両親から反対されたりしました。
それでもなお熱い思いを貫いた喜矢武豊さんがいたからこそ今のゴールデンボンバーがあるのですね。
唯一無二のパフォーマンスで楽しませてくれるゴールデンボンバーが今後もどのような活躍を見せてくれるか楽しみですね。