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佐藤希望の学歴や経歴を紹介!出身高校や大学情報(フェンシング・エペ女子)

東京五輪フェンシングエぺ(女子)の佐藤希望さんは、二人の子供を育てるママさんアスリートです。

今回の東京五輪で3度目の出場になる佐藤希望さんは、どんな経歴でどこの出身なのでしょうか。


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佐藤希望さんの学歴・出身校

佐藤希望さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、家族構成、子供の頃のエピソードについて見ていきましょう。

佐藤希望さんのプロフィール

氏名  佐藤希望
生年月日  1986年7月3日
出身地  福井県
身長  173cm
体重  62kg
血液型  B型

佐藤希望さんの学歴・出身校

大学は、日本体育大学体育学部体育学科を卒業しています。

日本体育大学といえば全国からスポーツ自慢が集い、ほとんどのクラブが優秀な成績を収め、オリンピックやプロで活躍するアスリートを数多く輩出していることで有名です。

フェンシング部は、個人種目別インカレで男女計24回の優勝を誇っていて、卒業生で今回の東京五輪には、佐藤希望さんの他に、徳南堅太さん、在校生では東晟良さん、東莉央さんが出場されます。

東 晟良さんの学歴や経歴はこちら

東 莉央さんの学歴や経歴はこちら

 

高校は福井県立武生商業高等学校です。

武生商業高校は福井県越前市家久町にある公立高校で、文科省から「次世代ITを活用した未来型教育研究開発事業」の指定を受けています。

フェンシング部は全国大会常連校で、卒業生には東京五輪に出場する見延和靖さんなどがいます。

見延和靖さんの学歴や経歴はこちら

 

佐藤希望さんは中学までは剣道をしていましたが、高校の体験入部でフェンシングが楽しかったという理由で始めたそうです。

中学は越前市武生第三中学校を卒業しています。

武生第三中学校は、福井県越前市村国二丁目にある公立中学です。

この頃までは剣道に没頭しており、なんでも父親が指導者で祖父の代からの剣道一家だったそうです。

腕前は男子でも敵わないほどで、複数の強豪高校から誘いがあったそうだが、体験入部した武生商業高校フェンシング部の監督に「フェンシングなら五輪もあるぞ」と言われ、進学先を決めたそうです。

小学校は越前市国高小学校を卒業しました。

国高小学校は福井県越前市国高一丁目にある公立小学校です。

佐藤希望さんの子供時代とご家族情報

佐藤希望さんは、高校まで地元の福井県越前市で活動していました。

祖父の代からの剣道一家で産まれたこともあり、ひたすら剣道をしていました。

インタビューで一度だけ父親と大喧嘩をしたと語っており、その理由が中学で剣道を辞めて高校からフェンシングをすることを伝え、猛反対されたそうです。

それは父親からすれば、ずっと剣道をしてきて強豪校からも多数誘いがあり、将来的には自分のように指導者となって欲しかったのだでしょうね。

ただ、佐藤希望さんはその反対を押し切りフェンシングを始め、今では五輪に3回出場するほどの選手になったのですから、自分の信念を貫くことの大切さを感じさせられます。

剣道とフェンシング、同じく剣を使う対人競技なのでどこか通ずるところもありそうですね。

佐藤希望さんは2013年2月に結婚されており、同年7月に長男が誕生しています。

そして2017年6月に次男を出産しています。

それまでは地元の福井県を練習拠点にしていましたが、指導者や練習相手がほとんど東京にいることから2018年に東京へ拠点を移して活動されています。

旦那さんは長男と福井県に残り、次男は佐藤希望さんが東京で練習と両立して育てています。

ほぼ毎日五輪に向けて練習をしているので、その間はナショナルトレーニングセンター内にある託児所に預けています。

託児所がなければ競技復帰は考えられなかったとおっしゃっています。

ママになっても現役を続けられる環境がしっかり整っているのですね。


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佐藤希望さんの経歴

佐藤希望さんは高校からフェンシングを始め、長らく第一線で活躍されています。

そんな佐藤希望さんは、いったいどのような経緯でフェンシングに出会い、どんな実績があるのでしょうか。

フェンシングとの出会い

 

 

佐藤希望さんは中学3年生の時に武生商業高校のフェンシング部で体験し、楽しさを感じたのと、監督に「フェンシングで五輪に出よう」と声を掛けられたことで始めたそうです。

始めた時からすでに五輪を意識して取り組んでいたそうなので、さすがとしか言いようがありません。

経歴・エピソード

高校でフェンシングを始め、3年生でインターハイ女子個人エペで優勝します。

その後日本体育大学に進学し、大学3回生の2007年に全日本選手権初優勝を果たします。

輝かしい実績を残して日本体育大学を卒業後、大垣共立銀行に所属します。

2009年のワールドカップキューバ大会ユニバーシアードで銅メダルを獲得し、世界でも通用することを実証します。

2010年広州アジア大会では女子個人エペで2位。

団体戦メンバーとしても出場し、見事金メダルを獲得。

この頃から佐藤希望さんは、日本女子フェンシングには欠かせない存在となっていきます。

そして、かねてからの目標であった2012年ロンドン五輪代表に選ばれます。

活躍が期待されましたが、結果は予選敗退。

2013年に結婚、出産を機にフェンシングから離れますが翌年復帰し、その年の全日本選手権でパワフルママさんとして復活優勝を果たし再度五輪を目指します。

2016年リオデジャネイロ五輪の代表にも見事選ばれ、女子個人エペで初の8位入賞を果たします。

その翌年に次男を出産したのち三度目の復帰をし、2020年全日本選手権6度目の優勝という快挙達成。

東京五輪出場を決めることができました。

主な戦績


佐藤希望さんは高校からフェンシングを始め、すぐに才能を開花させます。

その主な戦績は以下の通りです。

2007.11.12.14.15.20年全日本選手権 優勝

2009年ワールドカップキューバ大会ユニバーシアード 3位

2010年広州アジア大会 個人2位 団体優勝

2016年リオデジャネイロ五輪 個人8位

ママさんになってからも女子エペ界で今もなお不動の地位を築いているレジェンドです。


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まとめ:佐藤希望さんの学歴・出身校と経歴

今回は、東京五輪フェンシングエぺ(女子)の佐藤希望さんについてご紹介しました。

2度の出産を経験し復帰は難しいと本人も思っていましたが、旦那さんや周りのサポート、佐藤希望さん自身の血の滲むような努力で五輪に3度出場するまでになりました。

今は子供に戦うママの姿を見せて、メダルを掛けてあげることを目標に五輪まで取り組んでいます。

ぜひ、五輪での活躍に注目して応援しましょう。


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