鈴木雄介の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪50km競歩(男子))

東京五輪競歩出場選手だった鈴木雄介さん。

今回は体調不良により三年ながら辞退されました。

男子20km競歩の世界記録保持者などした鈴木雄介さんはどんな経歴でどこの出身なんでしょうか。

そこで鈴木雄介の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪50km競歩(男子))をご紹介します。

 


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鈴木雄介さんの学歴・出身校

1988年01月02日生まれで石川県能美群辰口町出身の鈴木雄介(すずき ゆうすけ)さん。

身長は170cm で体重57kg、血液型はA型です。

鈴木雄介さんの最終学歴は順天堂大学卒業です。

大学ではスポーツ健康学部スポーツ科学科を卒業後に富士通所属の競歩選手になりました。

鈴木さんはこの大学で、日本競歩界の第一人者として有名な今村文男さんと出会い、意識的に練習方法を変えていったそうです。

出身の高校は小松高等学校を卒業しました。

この高校は石川県内でもトップクラスの進学校として有名です。

鈴木雄介さんはこの高校に一般受験で入学されており、高い学力を有されています。

高校に入学すると日本陸上競技連盟が強化事業の一環として、競歩専門のコーチをイタリアから招きました。

この際に、競歩の専門的な知識が学べ、高校3年生の時には、インターハイで全国優勝する程の実力になりました。


出身の中学校は辰口町立辰口中学校です。

中学時代から陸上部に所属しておりますが、当初は競歩ではなく、長距離選手としてキャリアをスタートさせる為に入部しました。

ただこの学校の陸上部は、新入部員は強制的に最初の地区大会の競歩に出場しなければいけませんでした。

練習もしていない状態で、他の部員よりもかなり早かったようで、長距離選手と競歩選手の二足のわらじで中学生時代は活躍したそうです。

競歩を本格的に練習するようになったのは、中学二年生の時でした。

得意としていた長距離ではなく、競歩で県大会へ進むことになったのです。

最初は嫌だったのですが、せっかくならと練習に取り組みました。

そこからトラック3,000メートル、5,000メートル、ロード3キロの3種目において、中学新記録を樹立します。

小学校は辰口町立辰口中央小学校に通っていました。

幼少期はピアノと水泳を習ってましたが、兄が地元の陸上クラブに入部した事で、自身も陸上クラブに入部しました。

家族構成は両親と二人の兄の五人家族です。

お兄さんが陸上クラブに入部した時も、一緒に入部した事から、兄弟は仲が良く、いつも一緒にいたのだと思われます。

 


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鈴木雄介さんの経歴

鈴木雄介さんといえば粘り強い走りで有名です。

2015年に競歩20kmで世界記録を樹立しましたが、2019年には世界陸上ドーハ大会50km競歩で金メダルに輝くなど、元々長距離が得意な選手だけに粘り強い走りでメダル獲得に貢献しました。

その鈴木雄介さんの経歴を見ていきたいと思います。

最初は競歩の長距離選手でしたが、大きな転換期は中学生の頃、トラック3,000メートル、5,000メートル、ロード3キロの3種目において、中学新記録を樹立したことで、競歩で世界一になりたいと強く思ったそうです。

高校時代にも、競歩専門のコーチの指導で頭角を現していきました。

そんな鈴木雄介さんは怪我で戦列を離れる事があり、2015年には恥骨炎を発症。

2016年に恥骨への疲労骨折が治らず、オリンピック出場の可能性消滅。

2017年、世界陸上ロンドン大会にも、怪我が治らず出場できないと3年間は出場が出来ていませんでした。

幾度の怪我から復帰し、2019年には世界陸上ドーハ大会50km競歩で金メダルを獲得するのですから、本当にすごいです。


主な実績としては、2015年全日本競歩能美20kmで1位になり、ここで世界記録、アジア記録、日本記録の保持者になっております。

2016年から2017年に掛けては怪我の影響で出場はありませんでしたが、2018年に復帰した大会では国体10000mで2位、全日本競歩高畠20kmで2位と好成績を収めています。

怪我から復帰してもこの上位入賞する鈴木雄介選手。

2年間のブランクを感じさせない走りを見せてくれてますね。


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まとめ:鈴木雄介の学歴・出身校と経歴

今回は、鈴木雄介の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪50km競歩(男子)辞退)ついてご紹介しました。

男子20km競歩の世界記録保持者の鈴木雄介さん。

数々の記録を成し遂げてきた選手で、その才能にうぬぼれる訳ではなく、常に向上心をもって来た選手なんだと感じました。

怪我で2年間も競技から離れていたにもかかわらず、怪我から復帰した年には上位入賞する程の状態まで戻っており、そうとうな努力をしたのだと思います。

東京オリンピックは体調不良により辞退されましたが、今後はより一層練習に励んで今後の活躍を期待しております。


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