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原沢久喜の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(柔道男子)

東京五輪柔道出場選手の原沢久喜さん。

高校進学当初は卒業と共に柔道を辞めようと思っていたと話す原沢久喜さんはどんな経歴でどこの出身なんでしょうか。

そこで原沢久喜の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪柔道100kg超級(男子))についてご紹介します。


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原沢久喜さんの学歴・出身校

1992年07月03日生まれで山口県下関市出身の原沢久喜(はらさわひさよし)さん。

身長は191cm で体重123kg、血液型はO型です。

原沢久喜さんの最終学歴は日本大学卒業です。

大学では法学部経済学科を卒業後に社会人として、JRAの労務厚生課に所属しました。

大学では寮と練習場が一緒で、いつでも練習できる環境があったようです。

さらに、技術やメンタルの指導、栄養士やストレッチ専門のケアもあり、外見だけではなく内面からの成長ができたようです。

柔道の、心・技・体を日本大学でしっかり学んで強い選手に成長したのが分かりました。

出身の高校は私立早鞆高等学校を卒業しました。

早鞆高等学校には、キャリア・アスリートコースや衛生看護科など、いろいろなコースがあります。

さらに、ホームページの柔道部を見ると、尊敬する先輩として原沢久喜さんに宛てたメッセージもありました。

オリンピック選手が先輩なんて、誇らしいですよね。

早鞆高等学校に進学した当初は66㎏級だったのですが、ウェイトトレーニングやプロテイン大量摂取して100㎏超級に体重を増やしていったそうです。

卒業生には、元プロ野球選手の金無英さんや高木真一さん、演歌歌手で俳優の山本譲二さんなどがいます。

出身の中学校は下関市立日新中学校です。

小学校の情報はなかったのですが、下関市立日新中学校の近くに下関市立養治小学校があるので、こちらの小学校に通っていたと思われます。

小中学校時代のエピソードはあまり語られていないようです。

唯一語られているのが、柔道を始めたきかっけは友人がやっていたからという事と、小学生の頃から体格に恵まれていたわけではなく、小学生の頃はそんなに大きくなかったという事です。

家族関係は、3人兄弟の長男です。

小学4年生の時に両親が離婚して、母と弟と妹の4人暮らしだったそうです。

2歳下の妹、結衣さんについての詳しい情報はありませんでした。

4歳下の弟、侑高さんは俳優をやっています。

幼い頃は、お兄さんと一緒に柔道をやっていたみたいです。

 


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原沢久喜さんの経歴

原沢久喜さんといえば組手は右、得意技は内股や大内刈りで有名です。

成績を残せるようになった高校時代から柔道が楽しくなり、高校卒業しても続ける決心をしたようです。

その原沢久喜さんの経歴を見ていきたいと思います。

小学生の時に、お友達が大西道場に通っていたのが柔道を始めたのが理由だそうです。

ライバルは王子谷選手、最大のライバルはフランスのテディ・リネール選手です。

主な実績としては、2015年グランドスラム・東京で、この年3度目のグランドスラム優勝、国際大会6連勝しました。

2016年グランドスラム・パリでは大会2連覇、国際大会7連勝を納めています。

国際大会7連勝やライバル王子谷選手に4戦全勝したことで、リオデジャネイロオリンピック代表になり、銀メダルを獲得しています。

2018年全日本選手権では、ライバル王子谷選手を破り優勝しました。

そんな原沢久喜さんも順風満帆だったわけではありません。

ふくらはぎの肉離れや太ももの肉離れ、オーバートレーニング症候群と診断されたこともありました。

肉離れは柔道の選手なら経験する人も少なくはないと思います。

しかし、オーバートレーニング症候群は精神的にも辛かったのではないでしょうか。

それでも努力を惜しまない姿勢は本当にすごいと思いました。

普通の人なら、精神的に辛かったら逃げ出しているのではないでしょうか。

少なくとも私は逃げ出しています。

 


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原沢久喜さんのネットの反応

 

弟さんからのツイートを見て、仲の良い兄弟なのだと感じましたし、一般の方はもちろんのこと書道家の方など、多方面の方から慕われている原沢久喜さんを感じる事ができました。

まとめ:原沢久喜の学歴・出身校と経歴

今回は、原沢久喜の学歴や経歴を紹介! 出身高校や大学情報(東京五輪柔道100kg超級(男子))ついてご紹介しました。

人一倍の努力で立派な体型や強さを手に入れた原沢久喜さん。

しかし、芯の強さは柔道始めた頃には備わっていたようです。

柔道は、子供の頃から大きかった子が有利な種目だと思っていましたが、必ずしもそうではないと知りました。

ここ数年、肉離れなどのケガにより試合に出れないこともありましたが、それでも東京オリンピック代表に選手になるのは並大抵の努力ではなかったと思います。

オリンピックでの活躍楽しみにしています。


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