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安藤美希子の学歴や経歴を紹介!出身高校や大学情報(ウエイトリフティング女子)

安藤美希子さんは、日本女子重量上げの59キロ級に出場するオリンピック選手です。

前回のリオオリンピックに引き続き、今回の東京オリンピックにも出場が内定している人物でもあります。

今回は、その安藤美希子さんの学歴や出身校、そして経歴などについて、詳しく紹介していきます。


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安藤美希子さんの学歴・出身校

リオと東京オリンピック選手の安藤美希子さんはどのような学歴の持ち主なのか、プロフィールから出身校、子供の頃のエピソードや家族構成について見ていきましょう。

安藤美希子さんのプロフィール

  • 氏名:安藤美希子(あんどうみきこ)
  • 生年月日:1992年9月30日
  • 出身地:千葉県白井市
  • 身長:155cm
  • 体重:59kg
  • 血液型:非公開

安藤美希子さんの学歴・出身校

安藤美希子さんの最終学歴は、平成国際大学となっています。

卒業後は、日本ウエイトリフティング会長の三宅義行さんが監督を務める、ウエイトリフティング部「いちご」に籍を置いていましたが、記録の向上を目指すため、のちに退社をしています。

退社後は、ウエイトリフティング大国でもある韓国に拠点を移し、韓国のコーチに指導を受けながらオリンピックを目指していました。

高校時代は、体育教師を目指すため県外の埼玉栄高校のに入学し、保健体育科に進学しています。

そして、数ある部活の勧誘を受けたのち、ウエイトリフティング部に入部をしています。

その後は、2年生の時から58級で頭角を現すようになってきました。

この高校のウエイトリフティング部に所属していた全国高等学校女子ウエイトリフティング競技選手権大会で48kg級優勝の水落穂南選手は同学年でした。

また、兵庫県の須磨友が丘高校の53級八木かなえ選手も同学年です。

 

中学校は、地元の千葉県白井市立白井中学校に入学しており、その頃はウエイトリフティングではなく、陸上競技部に所属しています。

小学校は非公開となっていますが、白井中学校の校区からすると白井市第一小学校白井第二小学校が対象となります。

おそらくどちらかの小学校の可能性が高いです。

また、小学時代には、器械体操に打ち込んでいました。

安藤美希子さんの子供時代と家族情報


安藤美希子さんの子供時代は、3歳の頃から小学校時代まで器械体操に打ち込んでいました。

そこで体操のしっかりとした下地が作られたため、高校から始めたウエイトリフティングもそこまで苦じゃなく始められたとインタビューで話されていました。

家族構成についてですが、父親と母親の他には確認が取れていません。

父親のお名前は美生さんと言いますが、安藤美希子さんが小学1年生の時にかかった脳出血で右半身が不自由になってしまいました。

会話も不自由になった為、安藤美希子さんは競技に支障がない限りは千葉県白井市の実家に住んでいました。

ご病気の父親の介助を率先してやっていたということですので、ご兄弟はいなかったのかと思われます。

常に家族と一緒に過ごす時間を大切にしながら競技を続けてきたと語っています。

母親・貴子さんは父親・美生さんの世話をしながらも安藤美希子さんの競技には全面的に協力と応援をしていました。

リオオリンピックの時には、父親を施設に残して母親だけが現地のリオに応援に行きました。

また、今回の日本協会主催の壮行会には安藤美希子さんのどうしてもという願いを叶えるために、父親を車いすに乗せて出席しました。

安藤美希子さんは、家庭環境が裕福ではなかったため、進学した埼玉栄高校では奨学金制度を使って入学をしています。

高校には実家から通っていたのか、それとも寮だったのかはわかりませんでした。

この高校は隣県ですが実家からはかなり距離が有ります。

しかし、父親の介助もあり実家から通った可能性もあります。

また、リオオリンピックに出場した際には、地元の白井市初のオリンピック選手ということで、盛大な応援と祝福がされていたようでした。

ちなみに、安藤美希子さんは今でも地元のラーメン店で食べるワンタンメンが好物だと話されています。


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安藤美希子さんの経歴

安藤美希子さんはどのような経歴をお持ちで、ウエイトリフティング選手としての戦績はどのようなものでしょう。

その輝かしい経歴について詳しくについて見ていきましょう。

ウエイトリフティングとの出会い

安藤美希子さんは部活動が盛んな埼玉栄高校に入学した際、空手、フェンシング、ウエイトリフティングからの部活勧誘があり、それぞれを体験した中でウエイトリフティングを選びました。

その理由は、体験初日で80kgを持ち上げ、オリンピック選手を育ててきた加藤仁コーチから熱烈な勧誘を受けたことが要因だとインタビューで話されています。

また、競技費用がフェンシングと比べると格安だったことも、ウエイトリフティング部に入る決め手となったそうです。

経歴・エピソード

埼玉栄高校でウエイトリフティング部に所属し、競技を始めました。

その後の大学進学後は、安藤美希子選手が選考漏れしたロンドンオリンピックで、同期の水落穂南選手と八木かなえ選手の2人が選考会を勝ち抜きオリンピック出場を果たしていたため、とても悔しい想いをしたとも話されています。

しかし、安藤美希子選手は大学でインカレ4連覇も果たし、平成国際大学を優勝へと導いた立役者ともなっています。

卒業後は、いちごグループホールディングスに入社したものの、もっと強くなりたいと想いから単身で渡韓します。

そして金メダリストを輩出しているコーチから直接指導を受けるようになりました。

主な戦績


安藤美希子選手は、ジャークを得意とし、技術やスピードの評価が高いオリンピック選手です。

その主な戦績は次の様なものです。

  • 2009年 7月全国高校女子選手権 初優勝
  • 2010年 3月ジュニアオリンピックカップ 優勝(しかし、その後は膝の手術のため1年間競技から離脱)
  • 2011年 6月全日本選手権 優勝 (クリーン&ジャーク116kgで日本新記録を樹立)
  • その後も日本新記録を続々と更新
  • 2016年 8月 リオデジャネイロオリンピック 58kg級 5位入賞

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まとめ

今回は、東京オリンピックのウエイトリフティング選手の安藤美希子さんの学歴・経歴をご紹介しました。

安藤美希子さんは日本新記録を次々と更新し、いま一番勢いのある選手であることが分かりました。

前回のリオオリンピックでは五位入賞を果たしているので、今回の東京オリンピックはじめ今後の大会では更なる記録が期待出来そうです。

安藤美希子さんの活躍を楽しみにしながら、彼女を応援したいと思います。


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